「反証が提示されない限り」(prima facie)という但し書きは、より多くの人を救うことの正しさは一見して明白であり正当化するまでもないが、その正しさは絶対的ではなく状況によっては反証が可能だということを意味する。

倫理的命題は
「より多くの人の命を救うことは正しい行為である」

 例を使って説明しよう。大きな客船が沈没し数百人の乗客が海に投げ出され救助を求めているとしよう。投げ出された乗客は救命具をつけておらず、数分のうちに救助されないと死んでしまう。あなたは1人で小さなボートに乗って現場に差し掛かった。この状況であなたにとって正しい行為は何だろうか?

 常識的には、投げ出された乗客を次から次へとあなたのボートに引き上げて、できるだけ多くの乗客の生命を救うことである。誰もがこの倫理的判断を受け入れるだろう。

 しかしこの倫理的判断が反証不可能というわけではない。例えば、数分以内にすべての乗客を引き上げるほど素早く行動することができないとか、すべての乗客を引き上げるのに十分な体力・持久力がないとか、あなたのボートに乗せられる人数が限られているとか、いろいろな理由からすべての乗客の命を救えないとき、正しい行為を行えないことが明らかな状況が発生する。

 このような状況では、もはやあなたは「より多くの人の命を救うことは正しい行為である」という倫理的判断に従わないことが正当化される。よって状況によっては、もう誰も救わないということが倫理的に許されることがある。

 もちろん普通の人間の体力の限界を超えて、超人的な持続力でさらに多くの人の命を救うことができれば、それは普通の正しさや義務を超えた倫理的に素晴らしい行為、つまり称賛に値する行為である。しかし、称賛に値する行為をしなかった(できなかった)からといって、あなたは誰からも非難されるべきではない。

「反証が提示されない限り、より多くの人の命を救うことは正しい行為である」という命題は倫理学を勉強したことのない人にとっても直観的で、(「反証」できる状況を例示することはできても)否定する人はいないだろう。

 規範倫理学のほぼすべての研究者もまた、帰結主義者、カント主義者、徳理論家などの立場にかかわらずこの命題を受け入れる。そしてこの命題はパンデミック対応策の目標として倫理的にも政治的にも受け入れられるものである。よって「反証」の根拠となる要因がない限り、「より多くの人の生命を救うことは正しい行為である」という命題をパンデミック対応策の倫理的大枠とすることにしよう。