ある休日の午後の悲劇
取り残されたパパが取った行動とは…

 前述のCMでは、子どもの面倒を見る父親たちが、幼稚園・習い事・公園などで顔を合わせてもお互い関わろうとせず、気まずそうにしながらも、内心、同胞意識を芽生えさせているような描写がある。
 
 たしかに、育児中の父親が2人以上同じ空間に存在する場合、一瞬にして、えも言われぬその空気が醸成されるのである。

 こんなシーンを目撃した。以前、筆者が5歳の娘を連れて公園に行ったときのことである。
 
 公園には2組の父娘の先客があった。10歳前後に見える2人の女の子たちは初対面同士ながらもすぐに意気投合して遊び始めた。筆者はわが娘と遊びながら、なんとなくそちらにアンテナを向けていた。ほどなくして、パパ同士が世間話を始めた。2人とも、社会でそれなりに生きてきた貫禄を備えていた。つまり2人にとって、他人と世間話を弾ませることなど造作もないように思われた。
 
「(自分の娘は)3年生なんですが、おいくつですか?」
「同じですね。学校は(近所の)○○小学校ですか?」
「いえ、今連休を利用して、おじいちゃん、おばあちゃんの家に泊まりに来ているんです」
「ああ、そうなんですか――」
 
 会話はそれで終わり、楽しげに遊ぶ女の子たちをよそに、2人が言葉をかわすことは二度となかった。
 
 やがて、女の子たちが片方のパパ(仮にAさんとしよう)と遊び始めた。全力で2人の相手をするAさんに向けて、残されたBさんは『面倒見ていただいてすみません、ありがとうございます』という意味を込めたであろう会釈をしたが、それを終えたらもういよいよすることがなかった。
 
 3人の輪に混ざるのもAさんをきっと遠慮させるだろうから気が引けるし、まさか娘を任せておいて、自分がスマホをいじり出すのはいかにも感じが悪いだろう。そこで、手持ち無沙汰極まったBさんが取った行動とは何か。

 Bさんは公園の中を徘徊(はいかい)し、普段は絶対にそんなことしないであろう慣れていない様子を濃密に漂わせながら、そう多くない緑たち(木々や草花)を入念に観察し始めたのであった――。
 
 これはある休日の午後に起きた悲劇であるが、パパたち(特にBさん)の誇り高き奮闘の記録でもある。