(6)単なる「視察」は嫌われる
ところで、政治家も、あるいは経営者などもよく行う「視察」であるが、視察する側の目的やコストはそれでいいとして、視察を受け入れる側の都合を十分考えているのだろうか。
例えば、齋藤アレックス剛太氏が執筆したダイヤモンド・オンラインの記事『エストニアで「日本人お断り」のスタートアップが増えた理由』が参考になる。同記事によると、デジタル先進国でスタートアップにとって経営環境がいい欧州の小国エストニアでは、そのスタートアップ企業の関係者が、視察で訪れる日本人に対して悪印象を持っているという。
その理由として、(1)漠然と訪問するだけでビジネスにつながる話がない、(2)その場で意思決定できない、(3)英語ができないので通訳を介するとコミュニケーションの効率が悪い、などが挙げられている。
エストニアへの訪問者たちはそれなりに勉強熱心なのだろうが、どのように「視察」しているのか目に見えるようで、同国人として少し心が痛い。
視察は相手に時間を使わせる。時間を使う相手にとっては、せめて時間を使うに足るだけの「期待」が持てるのでなければなるまい。
ビジネスにつながったり、将来の当方側からの有益な情報提供につながったりするようなメリットを相手先にも提供できるのでなければ、単なる視察は、本来なら対価を払わなければならない迷惑行為であると知るべきだ。
一般論的大原則として、訪問には、相手側のメリットも考えた上での目的が必要だ。政治家もビジネスパーソンも当たり前のこととして確認しておきたい。
会った相手が少ないとはいえ、国会議員を複数含む、エッフェル姉さんたちのご一行様が現地でどのように思われていたのかは、一日本人として少々心配だ。