確かに、旅行は参加者間の懇親を深めるかもしれないが、大規模な旅行以外にも懇親を深めるイベントはたくさん考えることができよう。また職業的に、政治家は懇親のプロであることが期待される。

 そうであれば、費用、時間共に考慮すべきだが、懇親に掛ける「コスト」をもう少し意識すべきだったろう。

 多額の議員報酬を受け取り、党からもお金が出る。こうした恵まれている状況に甘えて浮かれている議員がいるから、某政党の「身を切る改革」などという国民生活には大して関係のない陳腐なキャッチフレーズに一時的な説得力が生まれるのだ。

(4)「公費」に敏感になれ

 今回、言い訳を行った後から、松川議員の次女(未成年)が旅行メンバーに入っていて、党からの費用助成の恩恵を受けていた可能性があると報じられたのは、後味が悪かった。その後、松川議員は、次女のコスト分は支払う意向を表明したというが、この問題が表面化しなければそのまま党費が使われたのではないかと想像すると、盗みが露見したコソ泥が盗品を返却すると言っているような感じに聞こえる。

 仮に自分が、この種の公費へのたかりが世間にばれた当事者だと想像すると、身悶えするくらい恥ずかしいが、政治家は精神がタフだから平気なのだろうか。

「党のお金だから」「会社のお金だから」「国のお金だから」という理由でいわば「公費」を私的に使ってどの程度恥じないかは、持って生まれた個人の品性の問題である。だが、仮に卑しい品性に生まれたとしても、政治家や会社員のような社会人は、無理に意識的にでも自分に厳しくあるべきだ。そうでないと、仕事が全うできないし、社会人として生活が成り立たない。

 小さなごまかしをしないことは、個人の信用のために必要なコストなのだとわきまえるべきだろう。

 松川氏は、大きな信用を失ったのではないか。