「生成AI時代」における
リベラル・アーツ教育の可能性
GPT-4が公開されて以降、生成AIの活用を巡るさまざまな議論が続いている。
当初は、AIが人間を操るようになって社会の基礎を解体するという“恐怖のシナリオ”が強調されたが、次第に、AIをうまく活用するための提案合戦になっている感がある。
それはいいことだと思うが、それでも教育現場や企業での議論の幅は、論文や作文などで生成AIを使ったものをどう見分けるかというものから、新たなスキルの取得や生産性を高めるためにどう活用するかといった話などかなりの幅がある。
筆者にとって興味深いのは、「AIとうまく付き合える近未来の人材」像が、近年多くの企業が社内研修で取り入れ、その必要性がカリスマ経営者的な人たちによって強調されている「リベラル・アーツ」教育が目指す人材像と、何となく同一視されている、あるいは、表裏一体の関係にあるかのように語られていることだ。
両者は実際に密接につながっているのか、つながっているとしたらどこに共通点があるのか、それとも全く異質なものなのか。
それを考えるには、まず現状の生成AIの能力を把握するとともに、リベラル・アーツの理念とは何かを理解する必要がある。