それだけの規模になると、1日の学生動員数が5千人にもおよび、マーケティング目的の企業も巻き込んで、ビールやたばこのサンプリング、化粧品や旅行会社から協賛金を集めるようになった。
当時のディスコに来ていた学生は人一倍おしゃれや流行に敏感で、目立った存在だった。いまでいうインフルエンサーのような影響力をもっていたので、そこをターゲットとしている企業に、「僕たちなら19歳、20歳のトレンドリーダーを一日で5千人集められます」と売り込み、マーケティング費の予算の中から協賛金を捻出してもらうというわけだ。
これは私が編み出した方法ではなくて、当時、すでにその仕組みは確立していて、先輩から「こうやってやるんだ」と教えられてやっていたに過ぎないが、時流を捉えていたことにより、4、5名の仲間だけで年商1億円という世界になった。
それが楽しくて楽しくて、目の前の事業にのめり込んでいくうちに、「失敗を怖れず一歩を踏み出す」「リスクを負って自由なことをする」という、新規事業にとって大切な習慣が身についたように思う。
たとえば、当時私たちの会社でバスを30台チャーターして、とあるスキー場の大規模ホテル2館を貸しきり、800人弱を送り込むスキーツアーをやったことがある。もし誰も来なかったら、それを被るのは私たちだ。だから絶対に満杯にしなくてはいけない。当然、そのために後輩たちをめちゃくちゃ動かす必要もある。
そのときに「誰を客にして」「何をやって」「いくら費用が掛かり」「最終的に手残りどれくらいなのか」ということを、全部自分のリスクとして何回も計算した。
改めて考えれば、これは立派な経営である。しかも、自分たちでハンコを押してフルリスクを負っている。なんでそんなリスキーなことを平気でチャレンジできたのかといえば、失敗してもすぐに取り返せると思っていたから。もっというと、失敗するなんてことは考えていなかったからだ。
また、キャッシュフローにも自然と関心がいくようになっていた。たとえば、某パソコン会社に学生を斡旋するビジネスを当時やっていたのだが、この案件では企業側の支払いサイトが長いことを考慮に入れなければならなかった。
ビジネスの流れはこうだ。まず、各大学の学食で女子学生に声を掛け、某パソコン会社がやっているパソコンスクールにどんどん送り込む。