ただ、いわゆる引きこもり的な生活を送っていたことは明らかです。また、知識人に対する憎悪があったと言われています。だから孤立している中で、何か気に食わないことを言っている知識人の代表として宮台さんが狙われた。それにプラスして、家から近かったという理由があると思います。相模原の犯人宅の辺りから宮台さんが勤める都立大学のある八王子の南大沢は、感覚的にはいわば近所です。
その程度のことは想像できますが、ターゲットが宮台さんでなければならなかった必然性は、やはりよくわからないんですね。たとえば、1930年代半ばに天皇機関説排撃運動が起こった時、法学者の美濃部達吉が右翼に殺されかけました。あれはターゲットはまさに美濃部達吉でなければならなかったわけです。それに比べたら、宮台さんを殺さなければいけない必然性は全く薄くて、別に他の人でもいいじゃないかというふうに見えます。
岸田首相を襲撃した犯人の場合はどうか。これもよくわかりません。すごく情報統制されている感じがあって、動機の解明が進んでいない印象です。ただ、犯人が政治に関心を持っていて、選挙について「立候補の年齢制限や供託金制度がけしからん」などと言って裁判を起こしていたことはわかっています。
しかし、その裁判は本人訴訟でした。違憲性を主張して国に損害賠償を求めるという訴訟ですが、本気で裁判で争おうと思ったら、専門家である弁護士によって構成された強力な原告団を形成して、論理を精緻に作らなければいけないと普通は考えます。ところがそんなことをやった形跡はありません。言ってみれば全く手作りの訴訟、裁判だったわけですが、これは非常識と言っていいでしょう。犯人には物事をきちんとステップを踏んでやっていくという思考回路が全くないように見えます。
神戸地裁で裁判が行なわれ、判決は当然のことながら敗訴でした。それで国家権力のトップである岸田首相を殺すという方向へ向かったのではないかと推論したくなります。ただしそれは、やはり常人には理解できない論理なんですね。
いずれにしても暴力の無軌道な激発というのは既に相次いでいたわけですが、暴力がある種の方向性を持ってターゲットを見出すようになってきたというのが、安倍元首相暗殺以降の新しい傾向です。しかし、その内的論理は混乱の極みでしかありません。そういうかたちの暴力が吹き荒れる時代になってきた。そこに私は非常にリアリティを感じています。
だから自分も身辺に気をつけなければいけないなと本気で思っています。いつ、どこから、どういう暴力が飛んでくるのかわかったものではない。そういう本当に嫌な状態に入ってきたなと。それが今の私の感覚なのですが、内田さんにも殺害予告が来たりしませんか。
政治的テロリズムと呼べない理由
内田樹(以下、内田):僕のところには殺害予告は来たことがないですね。もともと僕はネット上のリプライを読まないので、自分が世間でどういうふうに言われているのか知らないんです。ときどき「炎上してますよ」と知らせてくれる人がいますけれど、知らないうちに自然鎮火しているみたいです。