同情ではなく、ある種の「共感」という感情

 後日。遠くから恐る恐るB氏を見てみると、彼はいつも通りデスクにいて大きなヘッドフォンで音楽を聴いていた。

 いつもなら──各レコード会社から「聴いてほしい」と届けられる──新曲を聴いているのだろうと、邪魔しないように離れるのだが、雰囲気がいつもと違うような気がする。彼への気持ちが少し変化したせいかもしれない。

 深呼吸しながらその横顔を見てみると、きれいな瞳をしていることに気付く。これまでは怖くて眼を合わせられなかったし、長い前髪でつぶらな瞳を隠すようにしていたから、彼の眼をちゃんと見たことがなかった。

 どんな音楽を聴いてるのだろうと気になって、耳をそばだてながらそっと彼の後ろを通った時、ヘッドフォンから荘厳なクラシック音楽が漏れ聴こえてきたのだ。

 無口なB氏とは、まともな会話をしたことがなく、どんな音楽が好きなのか知らなかった。ただ、学生時代に吹奏楽部に所属し、プロを目指していたことは先輩から聞いていた。

 彼にすれば、ぼくや他のプロモーターが持ち込むJ-POPや洋楽なんて、本当は聴きたくもないのだろう。仕事だからしょうがなく聴き、自分の「好き」を封印して番組で流す。

「それってきっと、彼にとっては苦痛なんだろうな」

 そう考えた途端、彼も「同じ人間なんだ」と思えるようになった。筆者と同じように仕事のストレスに苦しみ、自分を奮い立たせて必死に働いているんだと。

 それは同情ではなく、ある種の「共感」という感情だった。

 そして彼は、裏表のない性格だからこそ、誰もがやる「うわべだけの挨拶」も「あいそ笑い」もできないんだ──彼のピュアな瞳を思い浮かべながらそう思った。これ以降、B氏への気持ちは劇的に変化していく。

 これまで通り冷たくされても、「悪意があるわけじゃない。実直で不器用なだけ」「ぼくのように人付き合いが苦手なんだ」と、全く違う受け取り方ができるようになっていた。

潜在意識(無意識)に支配される人間

 そうやってしばらく経つと、いろんな変化が起き始める。

 B氏に会うのがそれほど苦痛ではなくなり、近寄って気持ちよく挨拶できるようになった。遂には、彼と会話ができるようになっていたのである。

 全ては、「嫌い→ニガテ→カワイイ」と意図的に言葉を変換して、自分の「顕在意識」を変えることから始まった。それが自然に「行動」に表れるようになってきた。つまり、「潜在意識」が書き換えられたということになる。

 人という生き物は、自分で制御できる「顕在意識」ではなく、把握できない「潜在意識」によって動かされているという(※1)。

 きっと以前は、「潜在意識」を占めていたB氏へのネガティブな感情が、目に見えない空気となって全身から出ていたはず。少なくとも彼と向き合う時、自分の呼吸が浅くなっていたことは自覚していた。

 しかし、筆者の「潜在意識」が、わずかにポジティブになったことで呼吸は深くなり、目つきや表情はやわらかくなったことだろう。すると驚くことに、彼の態度もちょっとずつ軟化するようになってきたのだ。

 思い切って、筆者自身が幼少期にクラシック音楽を聴いて育った話をしてみると、そこから一気に距離が近くなる。

 それ以来、会話の数が増えるようになり、B氏は「仕事も、職場も、人付き合いもニガテ」ということがわかり、「ぼくと全く同じじゃないか」と親近感を持つようになった。

 彼の気晴らしになればと、自分の仕事とは無関係のクラシック音楽の話題を事前に仕入れては話すようになっていく。それに呼応するかのように、彼は時々お気に入りの協奏曲を聴かせてくれたりした。

 そうしているうちに不思議なことが起こった。

 筆者の扱うレーベルの曲が、彼の番組で次々とオンエアされるようになったのである。なんとなく仕事の話がしづらくて、本来のPRの仕事は完全に放棄していたのに。

 いつの間にか、筆者が働くレーベルのアーティストが次々とゲスト出演できたり、特番を組めるようになったり、どんどん大きな仕事ができるようになっていく。

 周りからは「どうやって取り込んだの?」「いくら払ったんだ?」と聞かれるが、当時は「そうなった理由」を言語化できず、うまく説明ができなかった。

ベン・フランクリン効果で心を通わせることができた

 心理学に詳しい人にこの話をしたところ、「ベン・フランクリン効果の一種だろう」と言われ、その説明が腑に落ちた。

 それは、米国独立の政治的指導者として有名なベンジャミン・フランクリンが、政敵を抱き込むために行った逸話から名付けられた心理的効果のこと。

 彼はその政敵に、その人が詳しい(政治とは無関係の)あるジャンルの本を、次から次へと貸してほしいと懇願したという。

 相手は当惑しつつも、断る理由がないので一冊ずつ手渡していく。するとその政敵はいつの間にか、ベンジャミンに対してポジティブな感情を抱き、敵対しなくなったというのだ。

 頭を下げる行為は、ある種の「心を開く行為」である。「私的な頼みごとがある」と、自分の懐に飛び込んできた相手を受け入れているうちに感情移入していくという。

 この「血の通った人間らしい心理」は理解できるだろう。そして、この心理現象は愛おしき人間の本質でもあるらしい。

 ベン・フランクリン効果に沿って筆者のケースを説明するとこうなるだろう。

①無理やり好きになろうとB氏に心を開く

②B氏は、筆者の気持ちの変化に気付き始める

③少し態度が軟化したB氏の懐に飛び込む

④B氏は筆者を受け入れ、心を通わせるようになる

⑤意図せずB氏といい仕事ができるようになる

「頭よりも心」に訴えかけることこそが正攻法

 この体験で忘れてはいけない、もう一つの大切な人間心理がある。それは「共感」だ。B氏へ共感を抱くようになってから、ニガテだった彼に対して自然と「思いやり」の心が生まれていた。

 その心は言葉や表情や態度に表れ、確実に相手に伝わる。そして相手は、それを心で受け止める。

 人間は、理性ではなく感情の生き物。時間はかかるが、「頭よりも心」に訴えかけることこそが正攻法であり、結局は合理的なのだろう。そう考えれば、メソッドや戦略なんてしょせんは小手先に思えてこないだろうか。

 ニガテな人に遭遇したら、まずは相手を「自分と同じ不完全な人間」だと思ってみよう。次に「人間らしい部分」を発見すべく観察する。そして、その部分に「共感」できたらもう大丈夫。さらに「思いやり」を持てるようになったら理想的だ。

 拒絶したり逃亡する前に、実験的なゲームだと思ってぜひ試してもらいたい。

(本記事は、『超ミニマル・ライフ』より、一部を抜粋・編集したものです)

【参考文献】
※1 池谷裕二『脳には妙なクセがある』扶桑社(2012)