美術館に行っても「きれい!」「すごい!」「ヤバい!」という感想しかでてこない。でも、いつか美術をもっと楽しめるようになりたい。海外の美術館にも足を運んで、有名な絵画を鑑賞したい! そんなふうに思ったことはないでしょうか? この記事では、書籍『死ぬまでに観に行きたい世界の有名美術を1冊でめぐる旅』から、ご指名殺到の美術旅行添乗員、山上やすお氏の解説で「知っておきたい名画の見方」から「誰かに話したくなる興味深いエピソード」まで、わかりやすく紹介します。
モネは生涯をかけて「睡蓮」に何を描こうとしたのか?
こちらはオルセー美術館にあるモネの「睡蓮の池、緑のハーモニー」という作品です。
ただ、睡蓮に関して言うと、オランジュリー美術館にもっとモニュメンタリーな「睡蓮」もあるんですよ。
──あれ、ということは睡蓮っていう絵は2枚あるんですか?
いえいえ、モネの睡蓮は世界中におよそ250点はあると言われています。
──に…にひゃくごじゅうぅぅぅ!? な…なんでそんなにあるんですか!?(汗)
はは、驚きですよね?(笑)では先にそのお話からしましょうか。
モネは印象派の絵画で有名になってきた40歳過ぎの頃、パリから少し離れたジヴェルニーという町に屋敷を借り、そこに住むようになりました。
園芸が好きだった彼は「花の庭」と呼ばれる庭を作り、絵にも多く描いています。
そして、50歳手前頃にその後のモネのモチーフを大きく変える花と出会ったんです。
──なるほど、それが睡蓮ですね…!
その通りです。どうやらモネはその頃開催されたパリ万博で、フランスではまだ珍しかった睡蓮の花を目にしたようです。
睡蓮に心奪われたモネは自身の庭で育ててみたいと思うものの、睡蓮は池に生える水生植物です。
そこでモネは自宅に隣接した土地を買い足し、近くを流れていたリュ川の水を引き込んで池を造成し、そこに睡蓮を植えることにしたんです。
──げげ! 池から作ったんですか、モネ? どんだけ自由なんですか(汗)。
ほんとですよね(笑)。
そしてその池の周りにイーゼルを立てて睡蓮を描き始めたのが57歳の頃。
そこから生涯をかけて睡蓮を描いていくんです。
──ふーん。それほどまでに睡蓮が好きだったんですねぇ。
じゃあ250枚も睡蓮を描いた理由は、「ただ好きだったから」ってことでいいんですか?
いえいえ、もっと深い理由があるんですよ!
この下にある絵をご覧ください。
モネは睡蓮を多く描きますが、その姿は時期によって大きく異なります。
最初は睡蓮をクローズアップしたものが多く、その後は睡蓮が入った庭の風景が登場します。で、晩年の睡蓮がオランジュリー美術館の大睡蓮になるんですが、ここまでくると主役は睡蓮から何か別のものに移っているような気がしませんか?
──確かに睡蓮というより、何もない水面が大きく描かれていますが…。
ですよね? 晩年のモネは睡蓮よりも、「睡蓮のある水鏡」に関心が移るんです。
そして、外で観察しながら描いたモネは、その水面が時間帯によって全く違う顔を見せることに気が付いたんです。
晴れの日の水面、雨の日の水面、朝、昼、晩でも違います。その条件の違った見え方、つまり光の移ろいを何枚ものキャンバスに描くことによって表現しようとしたんです!
──光の移ろい! なんかかっこいいなぁ!
でしょ? これこそ印象派の原点、移ろいゆく印象を描くという、印象派たる絵画、ということですね!
(本記事は山上やすお著『死ぬまでに観に行きたい世界の有名美術を1冊でめぐる旅』から一部を抜粋・改変したものです)