自分の中に力を感じることと、物事を能動的に解釈することは好循環するところがある。自分の中に力を感じることができるから、自分の置かれた状況を能動的に解釈することができ、能動的に解釈するから自分の中に力を感じることができるというように好循環する。逆に受け身と心の中に核がないことは悪循環する。

 ハーバード大学のエレン・ランガー教授が離婚に関して調査を行ったところ、離婚を元の配偶者のせいにした人の方が、自分の状況に対して考えられる数多くの解釈を見出した人よりも長いこと苦しむと分かったと言う。

 このエレン・ランガー教授の研究は苦しんでいる人間、悩んでいる人間について考える時の一つのヒントになる。つまり常に責任逃れをして生きてきた人はその「ツケ」をきちんと払わされているのではないかということである。

 責任転嫁の得意な人がいる。何か面白くないことがあるとすぐに人の責任にする。何でも悪いことがあると「おまえのせいでこうなった」と相手を責めている人がいる。その場は相手を責めることで心理的に楽になるかもしれないが、それはコントロール能力、対処能力の喪失につながる。

 何でもかんでも悪いことがあると人のせいにして他人を責めている人を見ると、あれだけ人のせいにできれば楽だろうと思うが、実は逆なのである。彼らは周囲から見るとなんて迷惑な勝手な人なんだろうという気がするが、本人は周囲の人より苦しんでいる。

我慢をするほど「ストレス耐性」度が低下する理由

 もう一つ、ストレス耐性の度合いは、我慢をしているうちに落ちてくる。

 自分の不満をうまく表現できない抑制型の人は、我慢をする以外に怒りに対処する方法が分からない。だから来る日も来る日も我慢、我慢になる。ただただ我慢をする日が続く。

 毎日イヤなことが重なって、ただ我慢する以外にない時には、怒りは次第に心の底に積もっていく。その時その時の怒りは小さくても、その怒りが蓄積されて合計されて、心の底に根雪のように積もっている。ほんのささいなことにも耐えられなくなっている。

 肉体的に疲れていれば、わずかな坂でもつらい。「もう歩けない」と思う。しかし元気な時には、それが坂であるということすら気がつかないで歩いてしまう。心も同じである。心理的に疲れている時には、ささいなことをものすごい困難に感じる。

 そうなると、どうなるか? 極端にストレス耐性度が落ちてくる。何でもないささいなことが「許せない」ほど大きな問題になってくる。相手のささいな言動にものすごく不満になる。ちょっとしたことにひどく腹が立つ。

 一つ一つ悔しいことを毎日関係者に説明をして処理すればいいものを、その感情を抑圧して怒りに蓋をしてしまう。

 もう我慢する生き方は、やめた方がよい。今何にしがみついているからそんなに我慢しなければならないのか。今にしがみつく生き方はやめれば、もう我慢しなくてもよい。

 アメリカの心理学者デヴィッド・シーベリーが言うように、人間の唯一の義務は自分が自分であることである。あなたが今、その価値にしがみついた生き方をするから、その生き方は価値ある生き方と感じているだけである。今の生き方をやめてみれば、自分はガラクタにしがみついていたと気がつく。