人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

ゲームのやりすぎで親指が痛くなる?! 世界的権威の医学雑誌に掲載された「ニンテンディナイティス」とは? Photo: Adobe Stock

休むことなくゲームをプレイ

 一九九〇年、世界的にもっとも権威ある医学雑誌の一つ、『New England Journal of Medicine』に興味深い症例報告が掲載された(1)。

 その論文では、親指の痛みを訴えて病院を受診した三十五歳の女性の病状について述べられていた。彼女は、息子がクリスマスプレゼントにもらった任天堂のテレビゲームを、五時間に渡って一度も休むことなくプレイし続けたという。

 右手の親指で繰り返しボタンを押し続けたことによる、親指の腱の炎症が痛みの原因であった。人類史上初めて、自宅用のテレビゲームが爆発的に普及した時代だ。

 むろん医学史上も、それまでこの種の外傷が記録されたことはなかった。論文の著者である米国ウィスコンシン州の医師は、この新たなタイプの外傷に「Nintendinitis(ニンテンディナイティス)」と名づけることを提唱した。

「-itis」とは「~炎」を意味する接尾辞で、「colitis(大腸炎)」「gastritis(胃炎)」「arthritis(関節炎)」など、「-itis」がつく病名は数え切れないほどある。ここに、Nintendinitis(任天堂炎)という新たな病名が加わったわけだ。

ゲーム史を変えた新型マシンが生んだ疾患

 さらに、二〇〇七年には同じ『New England Journal of Medicine』に新たな症例報告が掲載された(2)。ある日曜日の朝、二十九歳の研修医が激しい右肩の痛みで目覚めた。

 特段、肩に怪我をした覚えのない彼は不思議に思い、リウマチ科の同僚に相談したところ、右肩の腱の炎症が痛みの原因であるとわかった。

 さらに記憶を探ったところ、彼はついに原因となりうる行動を思い出した。実は、彼は任天堂の新型ゲーム機「Wii」を購入したばかりで、数時間に渡ってテニスのゲームをプレイしていた。

 このゲームでは、プレイヤーは画面の前に立ってリモコンを握り、体を動かすことであたかもテニスをプレイするような体験を味わえる。

 彼はゲームプレイ中に繰り返し肩を酷使しており、それが腱の炎症を引き起こしたのである。

 ゲーム業界がやや停滞しつつあった当時、任天堂が社運をかけて投入したのが、Wiiであった。特にWii本体と同時に発売されたソフト「Wii Sports(ウィースポーツ)」では、テニスの他、野球、ボクシング、ゴルフ、ボウリングなど、実際に体を動かしてバーチャルなスポーツ体験ができた。

 この画期的な仕様が、それまでゲームをあまりプレイしてこなかった層に広く受け入れられ、ゲーム人口は一挙に拡大した。

 結果的に、Wiiの出荷台数は一億台超、Wii Sportsは八〇〇〇万本超という恐るべき売り上げを記録し、テレビゲームの歴史を塗り替えるにとどまらず、医学史上初めて「自宅における新たなスポーツ外傷」を生み出したのである。

言語化することの重要性

 件の論文の著者であるバルセロナの医師は、この肩の外傷を任天堂ゲーム機による「Nintendinitis」の一形態としつつも、もはや新たな疾患概念の構築が必要と考えた。

 そして、この外傷を特に「Wiiitis(ウィーアイティス)」と呼ぶことを提唱した。原因のはっきりしない痛みを訴える患者に対し、医師が適切な診断を下す目的において、疾患名を定義し、言語化することは極めて重要だ。

「Nintendinitisではないか」あるいは「Wiiitisではないか」という疑いを想起することこそが、正しい診断に至る道をつくるからである。

さまざまなスポーツ外傷

 ゲーム機の進化が新たな疾患を生みだしたのは事実だが、それまでにはもちろん、古典的なスポーツ外傷として定義された疾患は多くあった。

 例えば、テニス愛好家に起こりやすい肘の腱の炎症「上腕骨外側上顆炎」は「テニス肘」と呼ばれ、繰り返しボールを投げることで起きる肘の骨や軟骨、靱帯、腱などの傷害は「野球肘」、肩関節の傷害は「野球肩」と呼ばれる。

ゴルフ肘やランナー膝

 他にも、スイング動作で起こる肘の内側の炎症「ゴルフ肘」(上腕骨内側上顆炎)、拳による強打で起こる中手骨(手の中央の骨)の骨折「ボクサー骨折」、ランニングによる膝関節周囲の傷害「ランナー膝」、バレーボールやバスケットボールなどでジャンブと着地を繰り返して起こる膝蓋骨(膝の皿)周囲の傷害「ジャンパー膝」など、スポーツ外傷は数多くある。

ゲームのやりすぎで親指が痛くなる?! 世界的権威の医学雑誌に掲載された「ニンテンディナイティス」とは? おもなスポーツ外傷(イラスト:竹田嘉文)

「非合理」と「幸福」

 生物は本来、種の存続を目的に生きている。だが不思議なことに人類は、趣味や娯楽によって自らの体を繰り返し酷使し、傷めつけ、新たな疾患を次々と生み出してきた。

 生物学的な観点では全くもって不可解で非合理的だが、ここに大きな価値を見出し、幸福を感じられることこそが、私たち人類の取り柄なのだろう。

【参考文献】
(1) “Nintendinitis” Brasington R. N Engl J Med. 1990;322(20):1473-4.
(2) “Acute Wiiitis” Bonis J. N Engl J Med. 2007;356(23):2431-2.

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に18万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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公式サイト https://keiyouwhite.com