各国の聴衆を感動させた
ウクライナ高官のスピーチ
NTT チーフ・サイバーセキュリティ・ストラテジスト。早稲田大学卒業後、防衛省にて9年間勤務。フルブライト奨学金を得て、米ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)に留学し、国際経済および国際関係の修士号取得。修了後、ハワイのシンクタンク、パシフィック・フォーラムCSISにて研究員として勤務。日本に帰国後、(株)日立システムズでサイバーセキュリティのアナリスト、インテル(株)でサイバーセキュリティ政策部長、パロアルトネットワークスのアジア太平洋地域拠点における公共担当の最高セキュリティ責任者兼副社長を歴任した後、現職。サイバーセキュリティに関する情報発信と提言に努める。著書に『サイバーセキュリティ 組織を脅威から守る戦略・人材・インテリジェンス』『ウクライナのサイバー戦争』(共に新潮社)
松原 ところが、ゾラさんはウクライナから片道2日かけて、命がけでシンガポールにやって来ました。
しかも、90分間のパネルディスカッションで、一度もウクライナを助けてほしいと訴えなかった。ロシアへの恨みつらみも一切言わなかった。
それどころか、「ウクライナは、今のところロシアからのサイバー攻撃をかなり防げている。しかし、それは、ウクライナを支援しているみなさんの国へ、いつロシアがサイバー攻撃を仕掛けるとも限らないということだ。ウクライナがこの戦争で学んだロシアのサイバー攻撃の手口について情報提供し、パートナー国のみなさんの防御能力の強化に貢献したい」とおっしゃったのです。
田中 本気度が伝わりますね。
松原 サイバーセキュリティの国際会議では、今、どういったサイバー攻撃の脅威があるのか、国々や企業がそれにどう対処しているのか、今後の課題と解決策は何かについて話し合います。
各国の海千山千の専門家や担当大臣の話に耳を傾けると、最新の現場の苦労話や鋭い分析に感銘を受けます。しかし、脅威の増大、技術力や人材、協力の重要性など、ある程度想定内のキーワードが並びます。意外な視点や感動を与えるのは非常に難しい。
しかし、このシンガポールのパネルディスカッションで、私は初めて感動しました。
自国が侵攻され、しかも首都もミサイル攻撃で大変な状況にあり、同僚や家族の身がさぞ心配でならないであろうさなか、わざわざ往復の移動だけで4日もかけて、遠い国で開催されている国際会議に登壇する勇気と気概は、それだけで尊敬に値します。
そして、90分間という限られたパネルディスカッション枠の中で、犠牲者ぶらず、自国を卑下せず、「ウクライナは世界に貢献する用意がある」と堂々と言い切った。
内心では、世界に助けてほしいと思っていたかもしれません。でも、その懇願を表に出さず、理不尽な状況下にもかかわらず、徹頭徹尾、前向きな姿勢を貫いていました。
第二言語の英語で訥々(とつとつ)と語り、一切、メモも見ませんでした。声や表情、ジェスチャー含め、あらゆる伝え方を駆使して、一生懸命に自国の決意を聴衆に伝えたのです。
4日間にわたる国際会議の中で、もっとも聴衆の心を打った瞬間だったと思います。各国の参加者は、「ウクライナは世界で最先端のサイバーセキュリティの情報をくれると言っている。それなら我々もぜひ協力し、一緒にサイバー攻撃の脅威と戦いたい」と思ったはずです。
もし東京がミサイル攻撃や大規模なサイバー攻撃にもさらされているとき、日本を代表して海外の国際会議に登壇してきてほしいと言われたとしても、躊躇(ちゅうちょ)せずに行ける人がどれだけいるでしょうか。友人や家族が危険にさらされ、犠牲になっているさなか、感情的にならず、攻撃国に対する怒りをぶつけず、いかに各国政府や企業の支援を取り付けられるか。私には自信はありません。
田中 聴衆に、(戦争の)当事者として意識してもらい、「自分も何かしなければ」という気にさせる。聞いた後は、「他国で起きている戦争」から「他人事ではない戦争」へと捉え方が変わっている。稀有(けう)なコミュニケーション能力ですね。
松原 生きていれば誰にでも、突如、理不尽なことが降りかかることってありますよね。人に助けを求めないといけない時期が必ずあります。その際、「助けてくれ、助けてくれ」と一方的に言うだけでは、なかなか相手は助けてくれません。見て見ぬふりをされてしまいます。もちろん、一時的には親切心で手を差し伸べてくれるかもしれません。でも「いつも助けを求めるだけで、この人は自分のことしか考えていない。こちらの得にならない」と思われれば、そのうち見捨てられてしまいます。
田中 長期的な支援は善意だけでは難しい。本の中でも、最先端のサイバー情報はウクライナからこそ得られるという目的もあるため、アメリカはウクライナを長期的に支援しているとありますね。
松原 国際社会では、双方向の協力関係になり得ないと、少しでも思われたら、即、切り捨てられてしまいます。日本人は、ぜひあのゾラさんのスピーチを見るべきです。一世一代の舞台での発信力に学ぶ点は多いでしょう。