分かれていた世界が「言語化」によってつながり
新しい世界が始まるきっかけに

松原さんPhoto by H.K.

松原 視覚化できない問題は、なかなか理解がしづらいです。以前、あるテレビ局の方と、「サイバーセキュリティに関する番組ってあまりないですよね」という話をしていたら、「サイバー攻撃や被害がうまく映像化できないと、テレビでは放映しづらいんですよ」とおっしゃっていて、確かになあと思いました。

 フードを目深にかぶったハッカーが暗がりにいて、カチャカチャとキーボードを打っているシーンでは、何となく恐ろしさは伝わってきます。しかし、サイバー攻撃が具体的にどのような被害を、人や組織や国にもたらすのか、本当の脅威を感じさせることは難しいですよね。

田中 「ハッカーにいじめられている一般市民の図」を、物理的に映すことはできないですものね。

松原 例えば、水漏れは、床がびしょびしょになる、ぽたぽたと水が垂れてきているなどの現象を視覚的に捉えられるので、注意が集まり、対応しやすい。他方、サイバー攻撃による情報漏洩は、目で見てぱっと分かる被害が、そこにあるわけではない。被害の恐ろしさを視覚化できないと、「急ぎ対応しよう」「協力しよう」といった気持ちが共有されにくいでしょう。

 そのため、一般読者にとってわかりやすくおもしろい本をどう書けばいいか、言語化すればいいかには、とても悩みました。執筆の際、新潮社の担当編集者である横手大輔さんに、「映画化やドラマ化もよくされている、ジョン・ル・カレ(※)のスパイ小説のように書いてください」と助言を受けました。読んでいて、映像が脳裏に浮かび、ディテールを想像してもらえる、そのような記述を心がけました。
※スパイ小説で知られる、イギリスの小説家。

 何を思いつつ攻撃しているのか? 数ある職業の中から、なぜサイバー攻撃者を選んだのか? 奪ったお金を何に使っているのか? サイバー攻撃者になる人には、愉快犯だけでなく、生活が苦しくてやむなくサイバー攻撃をするようになった人もいます。また、サイバー攻撃集団に入っても、上司に自分のスキルの高さを理解してもらえない、くどくど小言を言われるなどが続き、我慢の限界に来ている人も多くいます。そうしたサラリーマン的な背景やディテールも併せて描くと、読者の方々にとってサイバーの世界がぐっと身近になり、関心を寄せていただけるのではないかと考えました。

慶子氏Photo by H.K.

田中 確かに、背景やディテールを描くと、情報を受ける側も、リアルに捉えられますね。

 私は、伝えたいことを共有できる文脈がないとき、自分の言語能力の限界を感じて日々打ちのめされています。ですので、「こういうふうに伝えればいいのか」と、情報の伝え方という部分でも、この本は大変参考になりました。

 サイバーの問題もそうですし、環境問題やダイバーシティの問題もそうかもしれませんが、こうした、事態が大き過ぎる問題に対し、いつも私は途方に暮れてしまいます。人って、個人では手に負えないと判断した問題に対して、無意識でそれを「ないこと」にしてしまう傾向があると思うんです。

 でも、こうした問題は必ず、私たちの日常と関係している。例えば、利用しているサービスのパスワードを忘れてしまって困ることがよくあります。でも、そもそも何でパスワードが必要なんだっけ? 何で定期的にパスワードを変える必要があるんだっけ? ということを考えると、やはりそれはサイバーセキュリティの問題につながってくる。

 そしてその裏には、サイバー攻撃対策に尽力しているのに、理解されないサイバー担当者の苦労もある。「ないこと」にしている人たちと、目の前の脅威と戦っている人、ここに乖離ができてしまっている。ですので、まずは「知ること」が大事だと思っているんです。松原さんは、本や講演を通して、その乖離を融和しているわけですね。

松原 田中さんのご職業の通訳とは、言葉を紡(つむ)ぐ仕事ですよね。たとえ、田中さんが、話者同士が話しているテーマの専門家でなくても、交わされていく言葉を必ず別の言語に置き換えて、話者同士のコミュニケーションの橋渡しをしていかなければならない。言語化によって、今まで分かれていた世界同士がつながり、新しい世界が始まるきっかけとなりますよね。

 世界の出来事について今まで腑に落ちないと思っていたとしても、身近な言語で表現された本を読み、講演を聞けば、読者や聞き手の中に何かが呼び起こされて、「ストン」と理解できるかもしれません。

「目に見えないサイバーの脅威や被害」と戦っている人々の、恐怖心や怒り、「なにくそ」という思いを、ドラマとして、本で言語化する。そうした本であれば、技術に詳しくない企業経営者が読んでも、サイバー攻撃が経営にもたらす打撃、社員や顧客たちの動揺、サイバーセキュリティ対策の重要性といったことが、理解しやすくなる。

 そうすれば、経営者がサイバーセキュリティへの重要性について、ビジネスの言語に置き換えて社内で共有し、対策に力を入れられるようになるでしょう。それは、「サイバーの脅威」が、より広い人々の間で言語化されたからこそできた、戦う土壌です。

 そのように、長期的な視点で、少しずつ人々の理解を得て、それまで交じらなかった世界をつなげていく。この点、田中さんの通訳と私の対外発信活動とは、通じるものがあるかもしれません。「言語を置き換えて、相手に伝える」という作業は、究極的には、どのような仕事にも必要不可欠なことだと思うのです。

田中 私は、「言語化が苦手だ」という経営者のお話を聞いて、考えていることの言語化をサポートするコーチングの仕事もしているのですが、そうした、思考を言語化することもある種、「通訳」だと思っています。日本語同士でも、専門家と経営者とで、言語が異なることもありますよね。

『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)で、ほかの動物と比べて、人間がこのように進化できたのは、言語を用いることで、他人の経験も知ることができたから、という記述がありました。人間の進化のポイントは「言語化」という「通訳力」が大きく貢献しているわけなんですね。

カタカナ語で日本語にできないのは
日本でその概念が理解されていないため?

田中 ところで、「サイバー」や「ダイバーシティ」のようなカタカナの外来語、いわゆるカタカナ語は、定義がけっこうバラバラだったりして、通訳しているときに、モヤッとするんです。

 以前、テレビのニュースで婦女暴行事件に関する同時通訳をした際、制作側からの指示があり、「婦女暴行」という言葉は生々しすぎるということで、「レイプ」という表現を使うことになりました。

 カタカナ語を使うことで、鋭利な言葉を和らげる効果がありますが、同時に、言葉をふわっとしたあいまいなものに変えてしまう。「サイバー」もそうで、この言葉を聞いても、聞く側は実感をつかめないまま、何となく聞き流してしまう。そのことも、「理解されない」要因のひとつである気がします。

松原 田中さんは「コミュニティ」という言葉を日本語に訳すとき、そもそも日本では「コミュニティ」という概念が理解されておらず、あいまいに使われているため、訳しにくい、といったことを、著書『不登校の女子高生が日本トップクラスの同時通訳者になれた理由』の中で書かれていましたね。「サイバー」という言葉に日本語訳がなく、カタカナ語のままということは、その概念が理解されていないということなのでしょうね。

田中 「そのコミュニティが」を「その共同体が」と訳しても、イメージとだいぶ違いますよね。概念が浸透するまでは、当面は皆、ふわふわしたままで、つないでおくしかないのかもしれませんね。松原さんの本の中で、「データ」「インフォメーション」「インテリジェンス」は、日本語ではすべて「情報」と訳される、といったことが述べられていましたが、確かに、複数の外国語が、同じ日本語になってしまうのは、私たちが、それぞれの言葉の厳密な違いを理解していないからなんだなと、思いました。

「このカタカナ語は、今、世間でどういったニュアンスで受け止められているのか?」という観点は、通訳者として、常に考えています。その上で、その言葉をどう伝えるか、というスタンスの取り方もすべてひっくるめて、「コミュニケーション」の問題なんですよね。

 冒頭のウクライナ政府高官のプレゼン能力のお話も含め、松原さんの著書とお話から、思うところがいろいろとありました。今日はありがとうございました。

松原 こちらこそ、ありがとうござました。

近日中に「日本は本当にサイバーセキュリティ能力が脆弱なのか?」を松原さんにお答えいただいたインタビューも公開予定です。こちらもお楽しみに。