ジェンセンやマレー、ハーンスタインの「優生学」とリベラルな行動遺伝学者であるハーデンの主張はほぼ同じ

「優生学」「ゲノムブラインド」「反優生学」という、遺伝についての3つの政治的立場のうち、ゲノムブラインドが“反科学”として否定されるなら、残りは2つになる。だが私は、ハーデンのこの分類には問題があると考える。

「優生学(eugenics)」はダーウィンのいとこで、統計学の祖でもあるフランシス・ゴルトンが1883年に命名した言葉で、その後、ロナルド・フィッシャーやカール・ピアソンなど、統計学を確立した者たちに引き継がれた「進歩思想」だ。

 それ以前から、育種によってよりよい(人間にとって役に立つ)植物・動物をつくる手法は広く知られていた。ダーウィンの進化論に影響を受けたゴルトンら19世紀末のエリートたちは、適切な“交配”で人為的に人間を「進化」させられると考えた。社会主義者(H・G・ウェルズ)やマルクス主義者(J・B・S・ホールデン)が優生学を支持したのは、これがよりよい社会・よりよい未来をつくるための「リベラル」な運動だったからだ。

 ところがその後、優生学は「劣等」とされた障害者の断種を正当化し、とりわけナチスが「劣等」と見なした人種・民族の絶滅を目指したことで、もっとも非人間的な思想・運動であることが明らかになった。現代社会において、もはや断種や民族の絶滅を主張する者は(ごく一部の例外を除けば)いない。

 だとすれば、ハーデンが「優生学」として批判するのはいったい何なのか。それは、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に反対する保守派の思想家のことで、遺伝によって知能が決まるのだとすれば、社会政策によって知能=学力を伸ばそうとする試みは税金の無駄だと主張した。

 その代表がアメリカの教育心理学者アーサー・ジェンセンで、1969年に「IQと学力をどれだけ高めることができるか?」という論文を発表し、知能の遺伝率が高いとすれば、黒人など貧困層の子どもたちに提供されているヘッドスタートプログラムは失敗する運命にあると論じた。その後、政治学者のチャールズ・マレーと心理学者のリチャード・J・ハーンスタインが94年に“The Bell Curve(ベルカーブ)”を刊行し、経済的・社会的成功は環境だけでなく、遺伝からも大きな影響を受けていると論じた。

 ジェンセンの研究も、マレーとハーンスタインの著書も、リベラルからすさまじい反発を引き起こし、(いまふうにいうなら)徹底的なキャンセルの標的になった。――ジェンセンが所属するカリフォルニア大学バークレー校で解雇を求める抗議活動が起きただけでなく、ジェンセンへの殺人予告で警察はボディガードをつけ、家族は避難を余儀なくされた。

 ハーデンはこれを「優生学」とするのだが、困惑するのは、彼らが遺伝を理由に政府の介入政策は無駄だと主張していることだ。これはハーデンが本書で書いていること(遺伝の影響を無視した社会政策は「言語道断」である)といったいどこがちがうのだろうか。

 ジェンセンやマレー、ハーンスタインは、障害者の断種や「劣等人種」の絶滅を主張しているわけではもちろんない。それをナチスと同じ「優生学」だと決めつけて悪魔化するのは、あまりに不適切だろう。

 ではなぜ、ハーデンはこのような無茶な「レッテル貼り」をしなければならないのか。それは彼らの主張が、リベラルな行動遺伝学者であるハーデンの立場とよく似ているからだ。

「白人至上主義者」のようなグロテスクな差別・偏見の否定

 ゲノムブラインドの「リベラル」が遺伝という科学的事実を無視して空理空論をもてあそぶ「反科学」だとしたら、(ハーデンのいう)優生学と反優生学は、遺伝の影響を前提としているという意味で、ともに科学の側にある。しかしだからこそ、ハーデンは自分の立場を、アファーマティブ・アクションを批判する者たちから切り離さなければならなかった。「優生学」という悪意のあるレッテルは、そのために戦略的に選ばれたのだろう。

 アメリカにおけるキャンセルカルチャーの狂乱から(幸いにも)距離を置いた日本人の私からすれば、ハーデンのいう優生学は「遺伝現実主義」であり、反優生学は「遺伝リベラル」のことだ。両者は、「人生において遺伝が大きな影響をもつ」という行動遺伝学の知見を全面的に受け入れるが、それをどのように解釈するかの政治的立場が異なる。

 チャールズ・マレーのような遺伝現実主義者は、知能やパーソナリティは親から遺伝し、それが社会的・経済的な成功・失敗につながるのだから(ここまではハーデンも同じ)、政府による介入は費用対効果を考えれば正当化できないと主張する。

 それに対して遺伝リベラルであるハーデンは、遺伝を考慮しない介入は無駄だが(これはマレーと同じ)、遺伝の影響を前提とした政策によって、遺伝的なハンディキャップを負った子どもたちを支援し、よりよい社会をつくっていくことができると主張するのだ。

 このように考えると、ゲノムブラインドへの批判は科学をめぐる対立(科学vs反科学)であり、優生学(遺伝現実主義)と反優生学(遺伝リベラル)の対立は政治的なもの(税を投入した介入をすべきか、すべきでないか)であることがわかる。だとしたら、なぜここまでこじれるのだろうか。

 それは、アメリカのような人種多様性のある社会では、行動遺伝学の知見が人種問題と結びつけられるからだろう。大規模なアファーマティブ・アクションを実施するアメリカでは、その成果を納税者に開示するために、エスニックグループ別のさまざまな調査が公的に行なわれている。それによると、アメリカ社会ではアジア系(インド系・東アジア系)と白人(ヨーロッパ系)の世帯所得が高く、ヒスパニックと黒人の世帯所得が低い。

 これは「有色人種(POC: People of Color)」に対する「制度的レイシズム」によるものとされるが、POCであるアジア系の世帯所得はなぜか白人よりも高い。だとしたら、行動遺伝学の第一原則が示すように、ここにも遺伝が関係しているのではないか、ということになってしまうのだ。

 このような主張をするのが「人種現実主義者」で、人種によって遺伝的なちがいがあることを認めるべきだとする。これをグロテスクに拡張したのが「白人至上主義者」で、知識社会に適応できる人種と、そうでない人種が存在するという。リベラルな行動遺伝学者であるハーデンは、自分たちが携わっている科学はこうした差別・偏見とは関係ないばかりか、それを否定するものだと伝えるために、この本を書いたのだ(それに対してプロミンの“Blueprint”は遺伝現実主義に近い)。

 こうした視点で『遺伝と平等』を読むと、ハーデンがなぜこのような主張をするかがよくわかるだろう。なおここで書いたことは、『運は遺伝する』でより詳しく論じているので、興味があればぜひ手に取ってみてほしい。
 

 

 

 ●橘玲(たちばな あきら) 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)など。最新刊は『世界はなぜ地獄になるのか』(小学館新書)。