教育ポリジェニックスコアで「11歳の時点で、学校をどれぐらい無断欠席するか」まで予測可能
ハーデンはこの本で、遺伝についての考え方を「優生学」「ゲノムブラインド」「反優生学」の3つに分けている。このうちわかりやすいのが「ゲノムブラインド」で、「知能や学力に遺伝の影響があってはならないし、あるはずはない」という立場だ。教育学や発達心理学などの社会科学者を含め、日本においても旧来の「リベラル」の大半はここに含まれるだろう。
だがプロミンやハーデンが指摘するように、「遺伝の影響をないことにする(あるいは、見ないようにする)」というゲノムブラインドのきれいごと(環境決定論)は、GWASによって完全に破綻した。いまでは行動遺伝学の知見は、ゲノムレベルで証明されている。
ハーデンは、教育ポリジェニックスコアを使えば以下のような予測が可能になるという(繰り返しになるが、このスコアは受精卵をGWASで解析することで入手できる)。
・5歳時点でのIQテストの成績
・9歳の時点での対人関係スキル(「友好的で、自信があり、協力的で、コミュニケーションが得意」かどうか)
・10歳の時点での読み方の能力
・11歳の時点で、学校をどれぐらい無断欠席するか
・12歳の時点で、教師からADHDの兆候があるといわれる可能性がどれぐらいあるか
・13歳の時点でのIQテストの成績
・15歳の時点で、いずれは社会的地位の高い職業、たとえば医者や技術者になりたいと思うか
・17歳の時点での大学入学試験の成績
これに対して近年では、人生の成功には(遺伝率の高い)認知的スキル=知能ではなく、グリット、成長のマインドセット、知的好奇心、習熟嗜好性、自己概念、試験へのモチベーションなどの「非認知的スキル」のほうが重要だといわれるようになった。これは間違いではないものの、ここでの「不都合な真実」は、「非認知スキルには中程度の遺伝性があり(60%前後)、この遺伝率は、多くの研究グループがIQについて得ている値(50%から80%)と同程度である」ことだ。
さまざま研究を紹介したうえで、ハーデンは次のように結論する。
遺伝学研究にもとづく圧倒的なコンセンサスは、人々のあいだの遺伝的差異は、学校教育で誰が成功を収めるかを決める重要な要素になり、教育における成功は、他のさまざまな不平等を構造化するカギになる。
「大人の学歴や所得、職業ステータスに関連している遺伝子と同じものが、子どもがどれくらい早く話しはじめるかに関連している」
知識社会においては、教育(学歴)によって社会的な不平等が構造化されるが、それには遺伝的な差異が(かなり)影響している。だが「ゲノムブラインド」のリベラルはこの科学的事実を認めないので、善意のもとに、まったく効果がないか、あるいは逆効果の社会政策を推進することになる。その典型としてハーデンが挙げるのが、アメリカ版の読み聞かせである「ワードギャップ」だ。
調査によれば、貧しい家庭の子どもたちが3歳までに聞く言葉の数は、高所得の家庭の子どもたちに比べて3000万語も少なかった。だとすれば、貧困家庭の子どもたちの言語能力を上げるには、親(とりわけ母親)を啓発して、子どもに読み聞かせをしてこのワードギャップを埋めればいい。
日本でもこのような主張をよく聞くが、これは「親と子は遺伝的に結びついている」という事実を無視している。言語的能力の高い親から生まれた子どもは早く話しはじめることが多く、親が熱心に読み聞かせをするのは、子どもが物語を面白がるからかもしれない。それに対して、遺伝的に言語能力が高くない子どもは、物語に興味をもたないので、親もあきらめて読み聞かせをしなくなるのかもしれない。――そして遺伝学のデータは、「大人の学歴や所得、そして職業ステータスに関連している遺伝子と同じものが、子どもがどれくらい早く話はじめるか、7歳の時点でどれぐらい上手に文章を読めるかにも関連している」ことを示している。
こうした主張を差別的と思うかもしれないが、それは逆だとハーデンはいう。読み聞かせによって子どもの言語能力が決まるのなら、子どもがうまく話せないのは親の責任になる。リベラルが善意のもとに推し進める「読み聞かせ」キャンペーンは、「貧困家庭には欠陥があるとして、貧しい人々をアンフェアにも辱め」ているのだ。
遺伝の影響を考慮しないリベラルな政策は、税金の無駄であるばかりか、子どもたちの貴重な時間資源を奪っている
ハーデンは、「すべての人は遺伝的に同じだとするモデルや、親から受け継ぐのは環境だけだとするモデルは、世界の仕組みを説明するモデルとして間違っている」という。このことはすでに繰り返し証明されており、子どもの学力を伸ばしたり、「よい習慣」をつける(よいパーソナリティをつくる)ための善意の政策介入の効果について、すでに以下のような報告・研究がある。まずは米国教育科学研究所(IES)の報告書。
これらIESにより行われた研究の結果には、明確なパターンが認められる。評価の対象となった介入の大部分は、学校で普通に行われている実践と比べて、ほとんど、ないしまったく効果がなかったということだ。
次は、アメリカとイギリスで行なわれた141件のランダム化比較試験に関する2019年の総合報告。
教育介入の基礎となる研究に信頼性がないということだ……。信頼性のない基礎研究から得られた洞察にもとづく介入は、たとえデザインとして優れ、しかるべく実装されて、適切に検証されたものであっても、効果がない可能性が高い。
社会問題への「根拠にもとづく解決策」を見出すことを目指す慈善組織、ローラ&ジョン・アーノルド財団の報告書。
真に効果があることが明らかになった介入もわずかながらある。……しかし、そういう介入は、はるかに大きなプールを検証する過程で見つかった例外にすぎない。当初の研究では有望とみられていた介入まで含めて、介入の大半は、効果が小さいか、効果がまったくないことが明らかになった。
遺伝の影響を考慮しないリベラルな政策は、税金の無駄であるばかりか、子どもたちの貴重な時間資源を奪っている(効果のないプログラムに費やした時間を、効果が証明されている補習授業などにあてることができただろう)として、ハーデンはゲノムブラインドの“善意の介入”を「言語道断」と批判している。