石の上にも3年で

片岡 1年目でそう思ったんです。と言ってもそれは逃げ出すという感じではなくて、自分には医療関係が向いているのではないかと、仕事を通じて感じることがあったんです。

 岡山駅は、当時は17番線まであって、お年寄りがよく迷われるんです。あるとき、ご高齢の女性の荷物を持って17番線のホームまで案内し、その荷物をお渡しして改札口に引き返そうとしたときに、突然、澄んだ青空がどんどん広がっていくような晴れやかな気持ちになったことがあったのです。「なんて気持ちいいんだ!!」と。このとき、お年寄りのそばにいられる仕事をしたいと思ったのが医者になろうと思ったきっかけです。

 だから最初、医者ではなく介護士か看護師になろうと思いました。介護士や看護師の仕事を知らないといけないと思って、本屋に行って注射マニュアルという本も買いました。今はもちろんまったく平気ですが、当時は読後「ちょっと血は苦手だな」と思った記憶があります。

 その後、「医者になったら看護師の仕事もできるだろう」と考え直して、よく考えたら、兄が医者をしていることに気付きました。他人から見たら「今ごろ気付いたのか」と笑われそうですが。また祖父も医者をしていましたし、叔父も医者です。母方は医者家系なので、その親戚たちがいる鹿児島までちょっと話を聞きに行くことにしました。

佐藤 それはいつ頃ですか。

片岡 1年目の冬です。ところが、鹿児島に行ったら医者たちはみんな疲れ果てていて、兄は当時28~29歳で、循環器内科医としてバリバリやっていたんですけど、本当に日夜働き詰めという感じで、「医者は体力的にきついから、自分の子どもにはさせたくない」と言っていました。

 病院長の叔父も「大変だぞ」「つらいよ」という感じで、全然応援してくれません。ただ、病院の事務長をしていた伯父だけが「がんばれ」と言ってくれました。

 でも、私はその段階では矛を収めたというか、医者になるのはとりあえずやめたほうがいいかなと思ったんです。「会社員1年目で辞めてしまうのは、人としてダメなことではないか」と思ったし、「『石の上にも3年』で、どんなにつらくても3年はJRでがんばってみるべきではないか」と思ったんです。