この喝は何とも形容の言葉のないものであった。大きいというか、鋭いというか、澄みきったというか、臨済大師を地下から呼び起こしてきたなら、ああいう喝であろうかと思われる胴ぶるいするようなものであった。

 私は上野の動物園の傍に住んでいたので、夜明けによく鶴の声を聞いていた。〈鶴の一声〉というが、たった一声の鶴声を聞くと、心の底までシーンとしたものであった。禾山老師の喝はこの鶴の一声にも等しく厳粛かつ荘厳のもので、何れも感涙にむせんでいた。

 京都の竹田黙雷老師について〈無字〉を通った中野天心居士も「あの喝こそ、本当の喝だ」と感激していた。(平櫛田中「禾山老師と私」、田鍋幸信編『伝記資料 西山禾山 増補版』文治堂書店、1978年、465~466頁)

 禾山の謦咳に接した静江は「老師と膝を交へて居ると謂ひ知れない涙が出る、有難い尊い涙が出る」と言い、禾山の引導に接した田中は会葬者が「何れも感涙にむせんでいた」と言っている。

 このような、在家者と異なる、聖者らしい出家者が、日常において在家者から帰依され、葬式において在家者から引導を願われることはいつの時代においても変わらないであろう。

 前述のように、在家者が出家者を葬式に呼んで布施を与えることは、在家者の聖者崇拝の衰退にともなって、衰退していかざるを得ない。

 しかし、もし聖者らしい出家者がふたたび見いだされるようになるならば、在家者が出家者を葬式に呼んで布施を与えることは、在家者の聖者崇拝の増加にともなって、増加していくはずである。

 出家者の悟りのための宗教と、在家者の葬式のための宗教とはまったく矛盾しない。在家者は在家者の葬式において、出家者の悟りに達した聖者に布施を与えてこそ、その福徳によって大きな果/報酬を得、みずからあるいは亡者がそれを受けて善趣へ転生すると考えられているからである。

 こんにちの日本においては、出家者の世俗化にともなって、仏教が出家者の悟りのための宗教として機能しなくなり、在家者の葬式のための宗教としてのみ機能するようになっている。

 そのあたりに疑問を持つ在家者からは、いわゆる葬式仏教批判がしばしば起こされているが、それは、決して、葬式のための宗教を批判しているのではなく、あくまで、仏教が葬式のための宗教としてのみ機能することを批判しているのであると考えられる。

 最も望ましいのは、仏教が出家者の悟りのための宗教としても機能するし、在家者の葬式のための宗教としても機能することである。こんにちの日本においても、志ある出家者はそのことを目指して取り組んでいくのがよいであろう。