自分だけ、内定が取れなかった
キム 結局、80社受けて、内定をかちとって、集英社に入ったわけじゃないですか。出版社というのは最難関企業の一つだと思うんですが、どうして内定が取れたんですか。相手はどういうことを評価したと思いますか。
安藤 集英社のエントリーシートをダウンロードしたのは、まさに落ち続けていた時期だったんですが、どういうわけだが、「私、ここに受かるな」と瞬間的に思っていたんですよね。根拠のない直感なんですけど。何か縁を感じたんです。でも、そういう縁って、実はすごく大事なんじゃないかなと思っています。これは本当にはっきり覚えています。
エントリーシートは1万人ぐらいから残るのは1割くらい、と聞いたことがあります。それでも1000人くらい残っているわけですが、1次面接でも、どういうわけだか、「受かる」という確信があったんですよね。2次、3次、最終面接と進んでも、ああ、ここに自分は入るのかもしれない、という感覚が抜けなかった。
何がよかったか、というと、面接で自分をそのまま出せたんです。他の会社では、よく見せようと思って構えてしまった。
本田 好きな人には自然体になれない、と。
安藤 そうです。恋愛で失敗するパターンですよね。ガツガツ行っちゃうから。
本田 僕が就職活動した年は1990年でした。バブルまっただ中で、はっきり言って誰でも大手企業から内定をたくさんもらえる時代でした。
僕はいろんなアルバイトをしていたし、当時の自分に今の自分がアドバイスするんだったら、そういう企業を受けない方がいいんじゃない、ってたぶん言うと思うんです。でも、そのときは、やっぱりわからないんですね、何が自分に向いているのか、どうしたいのかって。
やっぱり僕もわからなかった。だから、とりあえずみんなが受けているような大企業を受けよう、ということで、いろんな企業を受けまくったんです。
ところが、みんながどんどん内定をとれる中で、僕だけ、まったく受からなかった。しかも例えば3次、4次面接まである会社でも、最初のところでだいたい落ちてしまう。当時、自分だけ受からないから、俺は本当に大丈夫なのかと思って、自分で自分が心配になったり、落ち込んだりしましたね。
それであるとき、もっといろんな会社を見てみようと思って。当時はリクナビみたいなのは紙のメディアだったので、それをずっとくまなく見て。名前を知らなくてもいいから、面白いと思う会社に行ってみようと思って。それで、たまたま見つけた会社がリード エグジビション ジャパンという、アメリカの会社。産業見本市を主催する会社だったんです。
今、ここは学生の就職人気が非常に高くなって、なかなか入るのは大変になったみたいなんですけど、当時はまだ全然名前も知られていなかった。新しく日本にこういうマーケットをつくるんだ、みたいなことが書いてあって。何か、面白そうだと思って。
組織は小さいんですけど、アメリカが本社で世界的にネットワークがある。バックボーンはしっかりしている。それで受けてみたら、面接でものすごく話が合ったんです。