大学時代に生まれた「こっぺ食堂」というアイデア

「ルールって本来、人が自由に活動するためにあると思うんです」

取材の冒頭、福崎氏は飲食業界への危機感を口にする。

「人が思うように活動できるのは、『ルールの中であれば自由に動いていい』という状況があるからです。ところが、コロナ禍における飲食店に課されたルールは、逆に飲食店を縛り付けてしまっている。営業時間の短縮。酒類の提供禁止。それが何度も繰り返される。このままでは、飲食店という生態系が崩壊してもおかしくありません」(福崎氏)

人が能力を自由に発揮できる“枠組み”とは何か──福崎氏がそんな思いを巡らせるようになったきっかけは、高校時代にさかのぼる。

「学生時代、何をしても許されたのが文化祭でした。もちろん最低限のルールがありましたが、それさえ守ればあとは本当に自由だった。『ここまではいいけどここまではダメ』というルールによって、人はその中でいろんなものを生み出せる。それを知った瞬間、自分の能力が解放されたような気がしたんです」(福崎氏)

文化祭を除けば、ずっと勉強中心の日々だった。高校を卒業し、福岡から上京して慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)に進学した福崎氏は、一芸に秀でた同級生たちから大きな刺激を受けた。

「SFCの同級生たちを見て、これまでの自分は“枠組み”の中で暮らす側だったんだと思い知らされました。自分も“枠組み”をつくる側になりたい。そう思って、もがきながら生み出したのが、『こっぺ食堂』だったんです」(福崎氏)

こっぺ食堂とは、福崎氏が学生時代に手がけた飲食店だ。飲食店をレンタルして、月に1回開催していた。当時主流だったSNS・mixiのコミュニティで宣伝してみると、数十人の友人が来てくれた。最初は月に1回のつもりだったが、評判が広がり、店を開く頻度はどんどん増えていったという。

「身近な人がつくった料理をみんなで楽しむ場ができ、それが広がっていくのはすごくいい体験だなと感じました。最初は『非連続』だったものが、その場所で生まれた楽しみによって『連続』に変わっていく。食事を楽しみにする“枠組み”の一つの発明をしたような気がしました」(福崎氏)

友人に囲まれ、福崎氏はさまざまな料理を振る舞った。この活気あふれる「こっぺ食堂」から、福崎氏の物語は大きく展開していく。

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こっぺ食堂は営業日数の増加とともに、楽しみが増していくという訳ではなかった。

「この活動でわかったのは、飲食店の運営は楽しいけど辛すぎるということ。ほぼ毎日働いていると、『おいしいものを作りたい』や『楽しみを生み出したい』という気持ちを忘れて、店をまわすことばかりに一生懸命になってしまうんです。世の中の週6日営業の飲食店も、みんなこういう状況にあるんじゃないかと思いました」(福崎氏)