・連帯責任によって、関係ない部員が巻き込まれてしまうのは不憫。
・「伝統ある部を廃部にする」ことの咎は、逮捕された部員たちだけに背負わせるには重すぎる(負わせてはいけない)。
・責任はアメフト部内で広く求められるべきだが、廃部は措置として重すぎる。
責任をどこに求めるかで、主張の立脚点は大幅に変わる。また、責任云々は関係なく、「再発防止に向けて最も効果的で現実的な策」として廃部を提唱した人もいる。
連帯責任は青春の思い出か
もたらされた苦行か
では、本件を通して連帯責任のあり方が改めて考えられていることについて触れておく。
「連帯責任」は辞書に記載のあるくらいれっきとした概念であり、ひとりの責任をその人が所属する集団全員の責任として捉えるものである。「連帯責任は日本独自の文化」といった声も聞かれるが、アメリカ海兵隊を題材にした映画『フルメタル・ジャケット』でも連帯責任の描写はあるから、日本だけということもなさそうである。
ただし、個人主義が強い海外に比べて日本は集団を重んじる傾向があるし、「体育会系・部活動」の独特な空気感はあまり海外には見ないので、「日本は連帯責任が強い」という印象を我々が持ちやすいことは確かである。
連帯責任は、その適用のされ方によって印象が大きく変わる。すなわち美談にもなり得るし、陰惨なパワハラにもなりえるのが連帯責任である。「部活の試合で負けたから外周を走らされた」は、責任を部員ひとりひとりで均等に割り振っているため戦犯探しが起きにくく、「負けた悔しい気持ちを走りながら発散しよう。そしてそれをチームで共有しよう」という美しい青春の思い出になりえるものである。