「病院がなくなる日」連載(2)患者が直面する「医師不足」の現実〈PR〉

連載1回目では、健康優良国である日本が直面する、病院問題に焦点を当ててきました。続く2回目では、コロナ禍で浮き彫りになった「医師不足(医療従事者不足)」について解説していきます。病院がたくさんあるのに、医師が不足している。なぜ、病院がたくさんある日本において、コロナ禍の「医療逼迫」が起こったのか。そこには何が隠されていたのか。

書籍『病院がなくなる日 20××年、健康大国日本のリアル』から抜粋してお届けいたします。

病院が多くても、医療逼迫が起こる日本

 日本は他国を圧倒する「病院大国・病床大国」ですが、やはり過ぎたるは猶及ばざるが如し。のべつ幕なしに増え続けていれば、そこにはさまざまな弊害も生じてきます。

 病院数にしても、今の日本、これからの日本にとっては「多い」を通り越して「供給過多」になりかねない。ゆえに再編・統合によって数を減らしていくべきだ、という議論は以前から行われていました。

 ただ、患者側からすれば「病院や病床の数が多いのはいいことでは? 多いとどんな問題や不都合があるの?」というシンプルな疑問があります。

 確かに、病院(病床)が多いほど医療を享受する機会や選択肢が増え、アクセスも容易になり、患者が分散されれば待ち時間も少なくなる。

 利便性の高さという点では、病院や病床が多いことにはメリットがあるとも考えられます。

 しかしながら、過剰な病院・病床数にはこれからの日本の医療を考えたときに看過できない、「医療の質」という観点からのデメリットがあります。

 その代表的なデメリットが「医療資源の分散」です。医療資源とは医師や看護師、薬剤師、技師などの医療従事者、医療機器や設備などのこと。

 つまり、病院や病床が多すぎると、それだけ医療資源が分散することになり、1病院あたりの医療スタッフが不足する可能性があるのです。

 医療の世界では「アクセスと医療の質は、お互いにトレードオフの関係にある」と言われています。

 トレードオフとは、どちらかの要素を改善しようとすれば、一方の要素が犠牲になる──「あちらが立てば、こちらが立たず」という二律背反の関係性ということ。

 病院や病床が多いのは、それだけ「医療へのアクセスがいい」ということ。

 「必要なときにすぐ近くの病院で診てもらえる」という日本の医療のアクセスのよさは、たくさんの病院や病床が〝あちこちに散在している”ことで成り立っています。

 ところが前述したように、病院・病床の散在は「医療資源の分散」を招き、必要な医療資源が不足するという「質の低下」につながっていきます。

 例えば、外科医が1人しかいない病院では提供できる医療も限られます。そうした病院があちこちに5つあるより、5人の外科医を抱える規模の病院が1つあったほうが、より高度な医療提供が可能になるでしょう。

 日本の現状はその逆で、5つの病院が散在することでアクセスのよさは得られるけれど、その代わりに、いざというときに必要とされる高度な医療提供の環境が犠牲になっているのです。