小説ではしばしば、最初のシーンを「回収」するということがなされるものですが、紫の上の登場シーンとそっくりの場面を再現することで、フィナーレに近づいていることを物語っているのではないかと思うのです。

紫式部が物語に込めた
メッセージとは?

書影『やばい源氏物語』(ポプラ社)『やばい源氏物語』(ポプラ社)
大塚ひかり 著

 涙で顔を赤くして、生き生きと走り出てきた少女のころの紫の上。

 その紫の上が願って果たせなかった出家を遂げて、ひとときの心の安寧を得た浮舟。

 そんな浮舟のもとに、かつて関係した薫が、彼女の異父弟を使いに寄越し、匂宮との“罪”をゆるしてやろうと言ってくる。それを「宛先違いでは」と女は拒み、男は「また誰かに囲われているのかな」と、自分の経験に照らして邪推して、物語は終わる。

 この物語で紫式部が言いたかったことは何なのでしょう。

 受けとめ方は人それぞれでしょう。

 そもそも作家というのは何か言いたくてものを書くというよりは、書かずにいられずに書いているうちに、物語が一人歩きして、結果的に受け手に何かが伝わるというものでしょう。

 その上で、考えてみるに、一つには、他人はもちろん、親族といった誰かの「身代わり」になることなく、自分の人生を生きようということではないでしょうか。これは「言うは易し」ですが、いざそうしようとすると幾多の障害がある。しかし自分以外の人間にとって自分は誰かの「身代わり」になり得る存在かもしれないとしたら……。ならばそんな人々の思惑に従おうとして、生きづらさを感じるよりは、彼らとの縁をいったん切るのも有り、だろう。ラストからはそんな作者の思いが読み取れます。

 そしてそのことと関連して、もう一つ、『源氏物語』から私たちが読み取れる思いは、「人はわかり合えない時もある」ということではないでしょうか。

 重い期待を寄せてくる家族とも、愛を押しつけてくる相手とも、離れた場所で、心の安らぎを得られることもある。

 男と女が結婚して、子孫にも財産にも恵まれました、めでたしめでたしでは終わらぬ『源氏物語』は、千年の時を超えて、私たちにさまざまなメッセージを読み取ることをゆるしてくれるのです。