と、尼の一人に頼み込みます。そうして中将が覗き見た浮舟の姿は、とても小柄で体つきも美しく、華やかな顔立ちに、尼削ぎの髪は“五重への扇”( 檜扇の板数の多いもの)を広げたようにたっぷりとした裾具合。繊細で可憐な美しさは、化粧を丹念に施したように“赤く”輝いています。それを見た中将は驚きます。

「なんと、これほどまでとは思わなかった。物凄く理想の人だったのに」

 と。中将は、こんな山里の尼たちの中で暮らしている浮舟のことを少し見下す気持ちがあったのでした。しかし想像以上の浮舟の美貌に、惜しく悔しく悲しくなって、こらえきれない心地になる。

 その気配を悟られるとまずいので、その場を離れ、

「たとえ尼でもこんなに綺麗な人なら、うとましい気もしない」

 などとかえって見どころの増す思いがして、

「人目に立たないようにしてやはり我が物にしてしまおう」

 と考え、妹尼にも、真剣に頼み込むのでした。

 このシーンで、私が思い出すのは、はるか昔、源氏が初めて紫の上を覗き見る場面です。

 まだ10歳であった紫の上もまた、尼や僧のいる場所で、浮舟と同様、“扇をひろげたるやう”な髪をして、覗き見る源氏の眼前に現れたものです。

 浮舟の髪が扇を広げたようであったのは、当時の女性は出家しても丸坊主にせず、肩から背中のあたりで髪を切り揃えていたためですが、紫の上の場合、まだ幼くて髪が伸びていなかった。しかし浮舟同様、たっぷりとした髪であったため、扇を広げたようになっていたのです。

 しかもこの時、紫の上は涙で顔を“赤く”していた。浮舟も泣きこそしていないけれど、その顔は“赤く”上気していました。

 作者は明らかに、源氏に見出された時の少女の紫の上と、出家後の浮舟の姿を重ねている。読者の心に少女のころの紫の上を思い出させようとしている。

 そのことで、紫の上に代表される多くの女君たちの歩まなかったもう一つの道……結婚しない人生を、示しているのではないか。

 女の姿も場面も男の欲望も同じだけれど、片方はこれから男の欲望に染まり、苦楽を味わって死んでいく女、そして片方は男たちとの性遍歴の末、いったん死んで蘇生し、男とは無縁の世界で生きていこうとする女……というふうに、その立ち位置は遠い彼方にある。