主要読者は女性であるが
男性インフルエンサーを使ったワケ

書影『やばい源氏物語』(ポプラ社)『やばい源氏物語』(ポプラ社)
大塚ひかり 著

 さて、いずれ劣らぬ影響力のある三人は全員、男です。

 実は当時の物語の主要読者は女性であり、女性の地位が高かったことを考えれば、ここに女性がいても良さそうなものですが、紫式部はあえて男のインフルエンサーを選んだのだと私は見ています。

 当時の物語は今でいう漫画のようなサブカルチャーで、漢文で書かれた詩や歴史書と比べると、ずっと低い地位でした。ことばは悪いですが、女子どもの慰み物と考えられていたのです。

 そんな物語を、中心読者である女性ではなく、本格的な学問= 漢詩文をたしなむ男たちに語らせることで、紫式部は『源氏物語』の権威付けを狙ったのでしょう。

 紫式部は、物語全体の底上げをも目論んでいたふしがあります。

 彼女は、『源氏物語』で、主人公の源氏に物語をこう語らせています。

“日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しく詳しきことはあらめ”

(『日本書紀』などの正史はほんの片端に過ぎないんだよ。物語にこそ、道理にかなった詳しい事情が描かれているんだ)(「螢」巻)と。

 今でいえばサブカルだった物語を、『日本書紀』などの正式な歴史よりも“道々し”(政道に役立つ、道理にかなった、学問的な)と持ち上げたのです。

 このくだりは物語論としても有名ですが、確かに、歴史書というのは為政者に都合の悪いことは省かれてしまうものです。物語にこそ、人の世の真実が描かれていて、善悪を強調してはいても、そこにあるのはこの世のほかのことではない、と、紫式部は物語に肩入れしています。

 物語には真実がある……という、主人公のことばに託した紫式部の主張は、『源氏物語』の読者なら、うなずいてしまうに違いありません。

 実に、物語に描かれていることは、今も昔も私たちのリアルを映す鏡であるからこそ、心にしみるし、胸打たれるわけで、古典文学には未来へのメッセージが込められていると思うゆえんです。