『読書大全』の著者を絶望の淵から救った本

名著『読書大全』の著者、堀内勉氏が、かつて絶望の淵に立たされた時に読んだヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。そこに記された強制収容所での過酷な状況を生き抜いた考え方に、堀内氏は救いを見た。以来、読書は人生を変え、本と真摯(しんし)に向き合うことで、どう生きるかを考えた。その読書論を著した新著『人生を変える読書―人類三千年の叡智を力に変える』(Gakken)をもとに、ロングインタビューした。前編と後編の2回に分けてお送りする。(聞き手・文/ダイヤモンド社 論説委員 大坪亮)

途方に暮れた中、
人生を変えた読書

――最初に、本書の執筆動機を教えてください。

 前著『読書大全』(日経BP)の前書きの部分に、読書の大切さの話を書いているのですが、それをもっときちんとまとめて書きたかったというのが、最も大きな動機です。

『読書大全』の読者から、「前書きの実体験部分が面白かった」というフィードバックを多くいただきました。話に臨場感があって引き込まれたというのです。それほど注目されるとは思わなかったのですが、講演などでも、その部分を尋ねられることが結構多かった。そこで、詳しく書いて独立した本にしようと考えました。

――確かに、本書第2章に書かれた実体験の部分は、引き込まれます。このインタビュー記事を読まれている方に、少し教えてもらえませんでしょうか。

 そうですね。私は東京大学法学部を卒業して、1984年に日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行しました。当時、日本経済は絶頂期の中にありました。しかし90年にバブル経済が崩壊し、97年には深刻な金融危機に陥ります。長年隠してきた膨大な不良債権が表面化する中で、大手金融機関が相次いで破綻し、興銀の経営も非常に厳しくなりました。

 私は当時、経営企画部門に属していて、巨額の不良債権の存在を隠しながら銀行を支えなければならない立場で、精神的に追い込まれていました。さらに、大蔵省(現在の財務省と金融庁)の接待汚職事件が発覚し、金融業界に激震が走り、逮捕者や自殺者が続出しました。

 次々と問題が起きる銀行に疲れ果て、私は退職することを決意しました。37歳の時でした。仕事の悩みが大きくなる中で、同時に家庭生活もうまくいかなくなり、途方に暮れる中、手に取った本が瀬島龍三の『幾山河―瀬島龍三回想録』(産経新聞社)です。瀬島は陸軍大学校を首席で卒業し、軍隊の中枢である大本営にいたエリート軍人で、11年間に及ぶ壮絶なシベリア抑留を経験した後に、伊藤忠商事の会長にまで上り詰めた人物です。同書に書かれていたシベリア抑留時代に関する次のような文章が私の心を打ちました。

 自身が空腹のときにパンを病気の友に分与するのは、簡単にできることではない。しかし、それを実行する人を見ると、これこそ人間にとって最も尊いことだと痛感した。「自らを犠牲にして人のため、世のために尽くすことこそ人間最高の道徳」であろう。それは階級の上下、学歴の高低に関係のない至高の現実だった。

 私は幼少より軍人社会に育ち、生きてきたので、軍人の階級イコール人間の価値と信じ込んできたが、こんな現実に遭遇して、目を覚まされる思いだった。軍隊での階級、企業の職階などは組織の維持運営の手段にすぎず、人間の真価とは全く別である。

 それまで銀行というピラミッド社会を生きていた私も、人間の真価に気づかないまま、「会社内の階級イコール人間の価値」と信じ込んできたのではなかったか。自分の内面は、本当は何もない空洞に過ぎなかったのではないか。そんな思いが私の心の中に湧き上がってきました。

 本を読んで、これほど激しく心を揺さぶられた体験は、生まれて初めてでした。

『読書大全』の著者を絶望の淵から救った本

 もう1冊、ユダヤ人の精神科医でナチスドイツ時代に強制収容所での生活を生き抜いたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』も読んで、頭をガツンと殴られるような強い衝撃を受けました。例えば次の箇所です。

 人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。(中略)ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。

 つまり、私たち人間は、常に「生きる」という問いの前に立たされており、それに対して実際にどう答えるかが、私たちに課された責務なのだということです。

 当時、こうした読書を通して、精神的な窮地から少しずつ抜け出すことができたのです。