資本主義とは何か。人間中心に考え直す

名著『読書大全』の著者、堀内勉氏が、かつて絶望の淵に立たされた時に読んだヴィクトール・フランクルの『夜と霧』。そこに記された強制収容所での過酷な状況を生き抜いた考え方に、堀内氏は救いを見た。以来、読書は人生を変え、本と真摯(しんし)に向き合うことで、どう生きるかを考えた。その読書論を著した新著『人生を変える読書―人類三千年の叡智を力に変える』 (Gakken)をもとに、ロングインタビューした。前編に続く、後編をお送りします。(聞き手・文/ダイヤモンド社 論説委員 大坪亮、撮影/疋田千里)

デフォルトとしての
資本主義

――前編で伺った、人生を変えた読書を経験した37歳の頃から、堀内さんが思索されているのが、本書の後半で書かれている「資本主義とは何か」だと思います。どのような思考の変遷だったのでしょうか。

 西洋で言うと、中世はキリスト教が世界観を支配していたわけですね。教会の教えと違うことを言うと、殺されてしまうような時代でした。その後、ルネサンスや宗教改革、科学革命など、いろいろな時代を経て人々の考え方は変化していきました。

 18世紀に資本主義が誕生しました。これは、ある意味で宗教のようなものです。この資本主義という人々の考えを大きく規定する枠組みが生まれ、思考から生活までを支配していきました。それへのアンチテーゼとして共産主義が生まれ、さらにそれら両方に対するアンチテーゼとしてナチズムに代表されるファシズムが出てくるわけです。

 社会的動物である人間というのは、何らかのパラダイムを共有して、その中で生きていると思うのです。人々の考え方やそれを包含する文化というようなものが相互作用しながら、時代や社会の精神を構築して、その中で生きている。もちろん、細部を見ればそれぞれ考え方が違う人はいて、100%考え方が統一されているわけではありませんが、今日においては社会を強く規定しているオペレーティングシステム(OS)のようなものが資本主義なのではないでしょうか。それは、人々の価値観や行動様式を左右するものです。 

 現代に生きる私たちは、生まれた瞬間から資本主義社会の中にいて、わざわざ自分はこういう主義主張に従って生きるのだと言わなくても、最初から資本主義のOSに従って生活しています。そこでは、自動的に資本主義的に考えて、資本主義的に行動する。このように、現代において、資本主義という枠組みは、我々にとってのデフォルト状態になっているのです。

 つまり、働いて、お金を稼いで、消費するという行動が、デフォルトの状態としてビルトインされている。就職についても、その年齢に達したら、大概の人は就職活動をします。そこでの選択の優先順位は、給与が高い会社が良い会社だということになっています。会社に入ってからは、より良い待遇を求めて出世を目指します。給与の前提になる会社の業績を高めようと考え、皆で収益を成長させていくよう努力するわけです。資本主義のOS上で生きている多くの人は、それに対して根本的な疑問を呈することなく、こうした行動を続けているのです。

 私は(前編の)冒頭にお話ししたようなきっかけがあって、「なぜ会社は毎年、成長しないといけないのだろうか?」と、素朴な疑問を持つようになりました。企業で経営計画を立てる際、前年度対比何%増というのが当たり前になっていますが、そもそもなぜ毎年プラス成長が前提になっているのだろうか、と疑問に思うようになったのです。

 その前提について、だれも、一度も、何の議論もしない。これは一体どういうことなのだろう、と考えるようになったのです。でもこれは真面目に考えだすと難しい問題で、自分だけではとても手に負えないと思い、知り合いの学者やビジネスパーソンに声をかけて、資本主義研究会というものを立ち上げました。

――本書では、「流されるだけの人生から抜け出すために」「基軸がなければ組織に寄りかかるしかない」「人類がつくってきた『考える道筋』」などの節があり、最初に、ソクラテスやプラトン、アリストテレスに始まるギリシャ哲学について多く論じていますね。 

 哲学の意義については話し始めるときりがないので、関心がある方は、本書『人生を考える読書』や、前著『読書大全』を読んでいただければと思います。

 若い頃、回し車の中を走るハムスターのように、毎日、会社で懸命に仕事をしていた時は、何も考えていなかったのですが、37歳の時にそこからいったん降りて、「資本主義とは一体なんなのか?」と考え始めたら、そのメカニズムだけでなく、そこで生きている人間の中に根差した何かが見えてきたのです。その根源的なところにあるのが、哲学ですね。

 まずは、多くの経済学の学者に話を聞きに行ってみました。でも、驚くことに、資本主義に関する私の素朴な疑問に答えてくれるような先生にはなかなか出会えませんでした。例えて言うなら、自らが自覚しないうちにサッカーフィールドに立っていて、そこでいかに効果的にゴールを決めるか、どうやって相手チームを打ち負かすかという研究に没頭し、そのための戦術を研究している先生は多いのですが、「なぜ相手のゴールにボールを蹴り込まなければいけないのか?」という疑問に答えてくれる人はどこにもいないという感じです。

 数学を駆使して、メカニズムとしての経済動向や市場の動きを緻密に研究している先生は多くても、なぜ人々はそうした行動をとらなければならないのか、どうしてそのような社会になっているのかについて、納得のいく説明をしてくれる先生はいませんでした。つまり、経済思想について研究している先生になかなか巡り合えなかったのです。