アダム・スミスの
『道徳感情論』と『国富論』

――本書の第4章で、模索の結果、アダム・スミスの『道徳感情論』にたどり着いたと、書かれています。

 そして最後に、大阪大学大学院教授の堂目卓生先生に出会ったのです。堂目先生は、私の話をじっくり聞いた上で、「それはマルクスが感じた根源的な疑問そのものですね」と言われました。

 ですから、経済思想については、まずは堂目先生の『アダム・スミス―「道徳感情論」と「国富論」の世界』(中公新書)をお勧めします。近代経済学の祖のアダム・スミスといえば、多くの人が『国富論(諸国民の富)』を思い浮かべます。同書でスミスは、何が国民にとって富に当たるのかを説きました。それも、一国の富ではなく、「諸国民」の富についてです。スミスは、個人が利己的に行動しても、経済は「見えざる手」によってうまく回るということで、市場機能に基づく自由放任主義を唱えています。そのため同書は、今日で言うところの新自由主義的なメッセージを含んだ本だという理解が広まりました。

 しかし、それは非常に一面的な理解なのです。スミスを理解するには、『国富論』より17年も前に彼が書いた『道徳感情論』も読む必要があります。同書でスミスは、社会秩序は理性ではなく、道徳感情によって基礎づけられるのだと結論づけました。人間というのは共感する生きものであり、その共感する力が人間の道徳的な観念を形づくり、それが社会を成り立たせているというのです。

 スミスは『道徳感情論』を生涯に5回書き直しました。彼の死の直前、1790年の最終版の序論で、1776年に出した『国富論』は彼の道徳哲学の全体構想の一部であったことを明らかにしています。つまり、『国富論』は『道徳感情論』を前提にした経済書であり、単なる自由放任と弱肉強食の書ではないのです。

『道徳感情論』は、古代ギリシャやローマの哲学をはじめ、過去の文献を多く読み解いて引用した上で、自分が生きた18世紀半ばの時代の人々を細かく観察しながら、社会を解説しています。読めば読むほど、「人間とはこういうものだ」ということが深く理解できる書物です。

 スミスとともに、やはりマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』も、資本主義について一定の説得力を持って論じていることを付言しておきたいと思います。プロテスタンティズムの中の、特にカルバン派の禁欲の精神と蓄財、神による救済という考え方により、なぜ西洋にだけ資本主義が根付いたのかを明かしています。