これらは、事情を知らぬ人、ごく普通に暮らす人たちからの嫉妬や僻みからきているのだろう。
確かに関西の名門、関西学院大学の卒業。学部は看板学部といわれる経済学部。部活動は、ときに関学の代名詞となる「グリークラブ(男声合唱団)」、という具合だ。
大学卒業後、得意先である企業で「後継ぎとなるべく他人様のところで武者修行」した後、創業者一族として祖父が築いた会社へと入社したという3代目・洋明の経歴だけを取り上げると、内外でやっかまれても仕方がないと思われるほど華麗な経歴と言えなくもない。
しかし、その内幕を聞けば聞くほど、外からはうかがい知れない創業者一族に生まれた者ゆえの重圧と苦労がある。加えて、同世代に生きる人たちが遭遇する悩みを抱えていた。
ただし、ごく普通に暮らす人たちと大きな異なりがある。襲いかかる苦境に逃げずに立ち向かうところだ。これは、子どもの頃から「祖父の会社を継ぐのだろう」と漠然と意識していたという、いわば生まれながらにしての経営者としての立場と責任からきているものなのかもしれない。
目を覆うばかりの会社の惨状
社員の質は「ひどい」の一言
やはり経営とは厳しいものだ。3代目として洋明が経営のバトンを引き継いだとき、会社の状態は目を覆うばかりだった。不良在庫8000万円、未回収金3億円、借入金に至っては13億円である。
社員たちにボーナスを支払いたい。だが、それは借り入れなければ捻出できない。この一事だけでも経営はすでに末期といってもいいくらいだ。
惨状は財務面だけに留まらない。経営とは待ったなし、ときに一刻を争うことがある。旧海軍のエリートで清廉潔白で知られた創業者、そしてその後を継いだ2代目といえども、市場の荒波を共に航海する社員たち、その人材を選りすぐる余裕がなかったのだろう。
3代目として引き継いだ社員たちの質は「ひどい」の一語に尽きた。
仕事はいい加減、汗をかかない、今日でいうところのネグレクト社員はまだマシ。多額の横領をする者までいる始末だ。
経営を引き継ぐ前、洋明はこの乱れ切った社内の空気を一掃すべく、問題社員たち個々に注意を与えた。だが、この洋明の動きを「あなたのモノの言い方、人への注意の仕方は厳しすぎる」として、封じ込める役職者までいたというから性質が悪い。