元来、吉岡が商っていた機械工具業は、顧客が店を訪れるのをひたすら待つという典型的な「待ち」の商売である。これを吉岡は、店が顧客のもとへと赴くスタイルへと改めた。
商品を顧客のもとへ運び、注文を取る。受けた注文品をまた顧客のもとへ運ぶ。これを繰り返す。
今では当たり前となった
「海軍式商法」を生み出す
今日では当たり前とも思えるこの商法は、当時としては斬新で画期的なものだった。
飛行機が航空母艦から飛び立ち、敵地へと趣き、偵察や攻撃を行い、帰投する。そしてまた偵察や攻撃に……という元海軍のパイロットだった吉岡らしい着想から編み出された商法である。名付けて「海軍式商法」というのだそう。
この「海軍式商法」により、吉岡の会社は息を吹き返す。その会社こそ、今も神戸の地で暖簾を掲げている吉岡興業だ。今、この吉岡興業は、祖業である機械工具業種のみならず、「ひきこもり採用」「奨学金肩代わり」といった社会的施策を打ち出す会社として、機械業界界隈のみならず、地元・神戸にて、その存在感を放っている――。
さて今夏、8月15日の太平洋戦争開戦の日を意識して、記者はダイヤモンド・オンラインにて、この元海軍中佐・吉岡忠一と吉岡興業について、こう書いた。
《(略)戦後、何もないところから起業、創業72年にして、これだけの発展ぶりをみせた企業の礎を吉岡は築いたのである。軍人としての輝かしいキャリアこそ、敗戦により無に帰したが、一軍人でいる以上に、結果として社会に貢献したのではないだろうか。(以下、略)》(2023年8月23日付 ダイヤモンド・オンライン記事/https://diamond.jp/articles/-/327966?page=6)
この記事について、記者のもとに直接、とある関西の財界関係者からこんな声が寄せられた。
「なるほど、創業者は立派な方だ。でも、その創業した会社を今日まで存続させている2代目、3代目はもっと苦労を強いられたのではないか。創業者の功績だけにスポットライトを浴びせるのは、今、会社を守っている経営者や社員に礼を失する話ではないか――」
確かに、企業は創業するよりも存続させることのほうが難しい。
この「企業の寿命」について、巷では、起業後1年、5年と持てばいいほうで、10年存続できれば上出来との声も耳にするところだ。