また、食器も、銀製の器や箸、スプーンは姿を消し、土器に盛り付けられた料理を木の箸で食べるようになりました。そうして、現代に至る日本人の食事スタイルの原型が生まれたのです。
平安時代にも保存食のすぐれた加工技術は存在していた!
奈良時代は、律令制の税のひとつとして、全国から食材が運ばれていました。その中心は米と海産物で、そのうち海産物は、日持ちがするように、干物や塩漬けなどの保存食に加工され、運び込まれていました。
平安時代、律令制は形骸化したものの、保存食の加工技術は、さらに発達しました。たとえば、主食の米では「干飯(ほしいい)」という保存法が発達します。それは、煮た米を天日で干したもので、食べるときには湯か水で戻してやわらかくしました。
平安時代、地方へ赴任する役人などは、この干飯を旅中食として持参しました。
在原業平を主人公とする『伊勢物語』にも、干飯が登場します。その一節では、「男」が、都落ちして関東へ向かう途中、干飯を食べようとすると、かきつばたが咲いていました。「男」がその美しい花を見て、都に残してきた妻のことを思って歌に詠んだところ、聞いた人が涙を流し、その涙で干飯がふやけてしまったという話です。
平安時代には、副食も保存法が発達し、たとえば、アユだけでも、押年魚(おしあゆ)、鮨年魚、煮塩年魚、煮乾年魚、火乾年魚、清塩年魚、醤年魚と、7種類もの保存法がありました。
平安時代の公家は本当に肉食をしなかった?
平安時代の公家といえば、仏教を厚く信じ、殺生を避け、肉食しなかったという印象があります。しかし、当時の記録によって、彼らが、ときには鳥の肉のほか、イノシシやシカの肉も食べていたことがわかっています。
当時の貢納物を詳しく記した『延喜式(えんぎしき)』によると、キジの干し肉のほか、イノシシやシカの干し肉が各地から運ばれ、それを公家たちが食べていたことがわかるのです。
また、イノシシやシカの肉でつくった「なれ鮨」や、動物の内臓でつくった塩辛も食べられていました。つまり、平安貴族たちも、肉食を一切しなかったわけではなかったのです。
また、平安貴族たちは、乳製品もよく食べていました。牛乳を飲み、「酪(らく)」や「蘇(そ)」という牛乳を使った料理も食していたのです。「酪」は、牛乳を濃縮して粥状にしたもの。「蘇」は、「酪」をさらに加熱濃縮して半固形状にしたものでした。