そして、水洗いするのは、1カ月に1~3回程度。髪がそこまで長いと、洗うのももちろん大変ですが、乾かすのにも時間がかかります。濡れた髪は水分を含んで重くなるので、女性たちは、その重みで座っていることはできず、終日、横になって髪を乾かしたと伝わります。というように、髪洗いが1日仕事だったため、女房らには、月に1~3回程度、「沐暇」という休暇が与えられているほどでした。

平安時代、牛車の“駐車問題”はあったのか?

 平安朝の公家は、牛車(ぎっしゃ)に乗って移動することが多かったため、都大路には多数の牛車が行き交っていました。

 というと、牛車同士が衝突するなどの交通事故が起きたり、また牛車の駐車場探しに苦労したのではないかとも思えます。

 しかし、そうした心配は、必要ありませんでした。平安京の道路は、今よりもはるかに広かったからです。

 平安京は、中国の長安にならって造営された都市であり、小路でも道路幅は4丈(約12メートル)と決められていました。大路の幅になると10丈(約30メートル)、最大の朱雀大路ともなると、28丈(約84メートル)もの道幅があったのです。

 道路がそれだけ広ければ、小路でも牛車同士が楽にすれ違うことができました。牛車同士が衝突することなど、ありえなかったのです。

 むろん、それだけ道路が広ければ、駐車場探しに困ることもありませんでした。平安京内は、どこでも路上駐車が可能だったのです。

 いかがですか? こうして当時の暮らしなどを知っておくと大河ドラマなどもまた違った面白さを発見できそうです。