正体はヤマトタケルの落とし物?

 この謎の円盤について、UFOの残骸ではないかとする声は少なくない。しかし、円い形をしているからといって空飛ぶ円盤と結びつけるのは、あまりに浅はか過ぎるだろう。

 実は、これをしっかり科学の目で精査した研究者も複数いる。たとえば江戸時代の高名な国学者である平田篤胤は、この円盤についてヤマトタケルの遺物であるとの自説を主張している。ヤマトタケルが東国征討の際、浦賀沖から房総半島へ向かう途中で、船首についていた大きな鏡がはずれて落ちたものだというのだ。

 確かに、この円盤の片面には幅6センチほどの枠がついていた痕跡が確認されていて、元は巨大な鏡の土台であったと捉えることに無理はないように思える。

 もっとも、そもそもヤマトタケルが実在していたかという議論もあるし、東国征討は2000年も前の出来事として伝えられている。鏡そのものは日本でも紀元前2世紀ごろから作られていた痕跡があるものの、研究者の間では当時の製鉄技術に見合わないとの意見もある。

 ヤマトタケルの落とし物とする説には、ロマンの観点から魅力を感じるが、それ以上でもそれ以下でもないという印象だ。

 ちなみに当地には、この円盤の正体はについて、「海を支配する海龍王が使っていた釜の蓋」であるという、さらにロマンティックな伝承もあるようだが、さすがにうのみにすることはできない。結局、謎は深まるばかりである。