そこにはある種のごまかしがあるのではないか、というのが安藤さんの言いたいことだ。
「じゃあ、認知能力でないのは何かというと、その人のパーソナリティー、要するにキャラです。パーソナリティーの5割近くは遺伝で説明できて、神経質な人は訓練して神経質になったわけじゃないし、外向的な人は訓練して外向的になったわけじゃない。それを『非認知能力』とか言われると、ある環境にさらされていくと、みんなが大人が理想とする“いい子”に変わっていくかのように錯覚する。だけど、ヘッド・スタートが示すとおり、子どもにある環境を与えれば、その時はそこに適応するけど、独り立ちさせたら元のセットポイントに戻るんです。形状記憶合金みたいに」
近年は、遺伝子研究が大幅に進み、脳科学と結びついたゲノム脳科学も盛んになっている。それでもまだ、教育において遺伝の影響はあまり検討されず、「子どもは真っ白なキャンバス」という考えは根強いように見える。
「本音と建前、あるいは夢と現実を、教育界も親も使い分けているのではないでしょうか。本音のところでは真っ白なキャンバスでないことはわかっているが、それを言っちゃあおしまいよ、なので、白紙だとか無限の可能性だとか言った言葉づかいでごまかそうとしている。そうしないと救いがないと思い込んでいるのでは」
人間は教育する動物である
それでは、安藤さんが考える教育とはどういうものか。
「教育というと、学校でおこなわれているようなことだと思われますが、教育という現象が一番素直にあらわれるのは、教室のなかではないと思うんです」
安藤さんは、テレビで取り上げられた、ある美容師を例に挙げた。その美容師はかつて、発達障がいのある子の散髪を引き受けた時に、バリカンの音で怖がらせてしまったことがあった。その後、専門的な知識を学び、発達障がいの子に髪を切らせてもらうスキルを身につけた。その美容室には、遠方からも親子が訪れるようになった。