貯蓄がエンタメ化、巧妙な大蔵省の戦略

 80年以上前の日本と聞くと、軍国主義だとか現代よりもかなり遅れているという先入観を抱く人も多いが、当時の日本は西側諸国と並ぶだけの先進国だ。官僚も海外留学で見聞を広めた人も多いので、ドイツやアメリカの最新のプロパガンダ理論なども知っていた。

 だから、最も効果的に国民を動かす「宣伝」を知っていた。それが大衆芸術家を用いた「漫談」、つまり、エンタメ色の強いプロパガンダだ。

 聞いて面白い、誰かに話したくなる。そんな「貯蓄漫談」を象徴するのが、床屋でのプロパガンダだ。実は国民貯蓄奨励局は、東京理容組合にも協力をさせた。

《理容組合が理髪師さんを動員してチヨキンチヨキンと鋏を使ひながらお客さんの耳に貯金の美談を吹き込む名案で、一役買って出た理容組合では「東京に住む三百廿萬の男は皆どこかの店に行くのですから吾々の漫談はとても効果があります」と大変な鼻息の荒さだ》(同上)

 いや、ふざけているわけではない。当時、床屋は男たちの社交場であり、情報交換の場でもあった。地域の名士のスキャンダルから時事問題まで、理髪師と男たちは髪を切り、ひげを剃る間にさまざまな情報のやりとりをした。そして理髪店でえた「面白い話」を男たちは、家庭や酒場で得意気に語って「拡散」させたのである。

 つまり、国民貯蓄奨励局が狙ったのは、今でいうところのクチコミ宣伝というか、「インフルエンサーマーケティング」なのだ。

 そんなメディアやエンタメ、インフルエンサーを巻き込んだ「貯金サイコー」のプロパガンダは大成果を挙げた。日本人の貯蓄熱もヒートアップし、工場などの経営者を警視庁が呼びつけて、若い工員たちが給料やボーナスを散財しないように指導、「収入の1割」を貯金するようにプレッシャーをかける「貯金進軍」なるものも始まった。

 そして、1941年になると国民貯蓄組合法が制定され、国民は地域や職場、学校などで結成された国民貯蓄組合のいずれかに必ず加入することが義務となった。

 ただ、国にそんな強制的なことをされても、それまでの「貯蓄宣伝」のおかげで、国民は「貯蓄こそ正義」だと信じ込んで、「欲しがりません 勝つまでは」と励まし合いながら節約を続けた。

 確かに大変だけれど、国のため、地域のため、家族のため、というやりがいもあるし、貯金をすればみんなからほめられる。また、人それぞれ試行錯誤を繰り返して見つけた貯金テクをほめ合った。日本人にとって、貯金は「家族みんなで楽しめるエンタメ」だった。

 それがうかがえる写真がある。1941年、京都府長岡京市の神足小学校の鍛錬大会(運動会)で子どもたちが校庭に大きな人文字を作った。「チヨキン」。今の子どもたちが「絆」とか「仲間」という人文字をつくるように、「貯金」は日本人の魂だったのだ。