なぜ日本人は「世界一の貯金好き」になったのか

 最近は貧しくなったのでアジアの新興国などに抜かれてしまったが、かつて日本人は「世界一の貯金好き」と言われていた時代もあった。

 では、なんでそんなに貯金が好きだったのかというと、質素倹約の思想とか、世界に誇る「もったいない」の文化とか言う人がいる。そういう「ふわっ」とした話もさることながら、直接的に大きな影響を及ぼしたのは、86年前に始まった「貯蓄報国」という国民啓発キャンペーンだ。

 1937年に日中戦争が始まってから、戦費が莫大にふくれ上がったことを受けて、国債やらだけでは賄えないと判断した日本政府は、「国民の貯金」に目をつけた。銀行や郵便局に預けている個人資産を戦費にまわそうというわけだ。

 かくして1938年、大蔵省に「国民貯蓄奨励局」が設置され、「貯金報国強調週間」としてラジオや新聞で現代の「激安スーパー特集」並みの勢いで、「貯金サイコー」のコンテンツが大量に流された。

 例えば、1938年6月15日付の「写真週報18号」(内閣情報局)は「貯蓄報国号」と銘打たれ、国民が実はこっそりとやっている貯蓄テクや、貯蓄をめぐる家族やご近所さんの美談などが紹介されているほか、「貯蓄模範村」のルポも掲載されているのだ。

 しかも、この「貯蓄プロパガンダ」がすごいのは、メディアで情報を発信した後、「クチコミ」でそれを拡散するという、現代のSNSマーケティングのようなことをしていることだ。

 新聞・ラジオでの「貯蓄宣伝」に手応えを感じた大蔵省の国民貯蓄奨励局は、「貯金報国強調週間第二期」として、「国民の一人一人に呼びかける」ということを目指した。

 そこで用いられたのが、「貯蓄のエンタメ化け」だ。

《浪曲、漫才、琵琶などの大衆芸術家を集め貯蓄奨励局のお役人と国民精神総動員中央聯盟の御歴々から国民貯蓄の意義、方法、美談などについて説明し、廣く大衆に接するこれらの人たちをとぼして貯蓄宣伝の強化をはかる》(読売新聞1938年7月20日)

 いかがだろう。やっていることは令和日本とそれほど変わらないのではないか。政府が国策を進めるため、文化人や評論家やお笑い芸人を活用して国民の理解を得ようとするというのは、いつの時代も変わらないのだ。