中国東北部で日系製造業の新たな集積地を目指す動きが進んでいる。今ではすっかり神話と化した「中国の安価な労働力で輸出加工」だが、再び立ち上がる気配も。その実現のカギを握るのが日本海を横断する新航路だ。
「労働者はどんどん逃げていく」――。
中国の日系縫製工場が人材難に陥ってから5年以上が経つ。新たな製造業の集積地としてベトナムやカンボジアが注目されているが、「チャイナプラスワン」への引越しはほとんど大手企業に限られた話。厳しい納期を突きつけられる中小の縫製工場にとって、その選択はやっぱり「中国」だった。設備、従業員の技術や出身地を見極めながら、企業はそれぞれに次なる地を見出す。だが、今のところこれと言った大きな受け皿はまだない。
中国最後の生産拠点と
注目される吉林省の琿春
吉林省延辺朝鮮族自治州の琿春市(フンチュン)はロシア、北朝鮮と国境を接する人口25万人の小さな町だ。その琿春をして「日本海に航路を求めることができる最後の拠点」との解釈がある。言い換えれば、日本の労働集約型企業に残された中国唯一の土地だということだ。
近年は、地の利と将来性を嗅ぎつけた韓国、香港の企業が北上し、国内景気がよくなったロシアが南下しと、ここで活発な取引を始めているという。「対ロビジネスは、琿春で中国人と手を組んでやるのがいい」と、新たな活用法を見出す動きもある。
日本からの現地視察も少なくない。が、進出の決め手となるのが「日本海への出口」。現段階でこれが求められないため、多くの企業は踵を返してしまう。
一方、そんなハンデは百も承知で、琿春市に新工場を立ち上げた日本人がいる。高級婦人服を縫製する(株)小島衣料前社長(08年退任)の小島正憲さんだ。05年秋、60人からスタートした工場は現在600人になった。
「日本企業向けの工業団地を作ってまとまった物量を出すことができれば、日本海を横断する航路が開ける」――。
中国で作った製品をロシア、韓国を経由して日本へ輸送するこの計画は、まさに北東アジア経済圏の胎動にも等しい。その前夜において、小島さんは社長を退いた今も東奔西走を続けている。
勝算はその独特の嗅覚だ。
小島さんには中国で5工場を立ち上げた経験がある。湖北省黄石市は当時、外資系企業といえば日系のアパレル工場が1社あっただけ。その後、彼のつけた轍を追うように産業が集積した。