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ベストセラー作家・宮部みゆきが、デビュー36年目にして初の書評集を刊行した。ミステリー、海外ノンフィクション、社会時評、歴史など128冊を扱う書評の中から、今回は「偽装死」「科学捜査」「色の科学」を扱う3冊を紹介する。本稿は、宮部みゆき『宮部みゆきが「本よみうり堂」でおすすめした本2015-2019』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋・編集したものです。なお、初出は『読売新聞』読書面「本よみうり堂」に掲載されました。

つらすぎる現実から逃げるなら
死んだふりをするのも一手か

『偽装死で別の人生を生きる』(文藝春秋)
著/エリザベス・グリーンウッド

 2008年のリーマンショックのすぐ後、ニューヨークのベトナム料理屋の一角で、無職になったばかりのある若い女性が、10万ドル(一生分の利息を足すと実は50万ドル)の学資ローンをいったいどうやって返済したらいいのかとこぼしていると、男友達がこう言った。

「死んだことにする、という手もあるよね?」

 この一言を天啓と思った彼女は、帰宅後に猛然と検索をかける。キーワードは「死亡偽装」。すると、ネット世界にはこの偽装行為をめぐるコミュニティがあって、(自称)専門家によるノウハウが開陳され、様々なアドバイスが交換されていた。これらの情報はどこまで信頼できるのか。彼女は真剣に調べ始める。これが本書の発端で、こぼしていた若い女性が著者である。

 我が国の事情はいかにと「死亡偽装」で検索してみると、上位にはヤフー知恵袋のQ&Aと、「死んだふりで借金がチャラ?」というNAVERのまとめが表示された。ミステリ作家は昔から人物の成りすましや入れ替えトリックのバリエーションを多々編み出してきたのだが、昨今は便利になったというか、むしろ書きにくくなったというか。ちなみに私が昔この偽装トリックを書いたとき、いちばんの難物だったのが運転免許関連なのだが、それは未だに現実のなかでも同様であるらしく、著者は偽装死後は「車は捨ててしまおう」と勧めている。

 著者が自身の偽装死を成功させるため、その実体験者たちや失踪請負人、その種の偽装を摘発する人々までも追っかけて取材し尽くし、偽の死亡証明書を得るべく某国に渡るまでの経緯は、リアル版の異世界ファンタジー冒険譚さながらである。若く未熟だが勇敢な主人公が現世の苦難からの解放を求めて異界を彷徨い、良い怪物や悪い魔法使いや存在するはずのないゴーストに出会って深い洞察という宝物を得て帰還する、21世紀の「往きて還りし物語」だ。赤根洋子訳。