「殺られる前にこっちから殺ってやる――」という集団パニック 

 要因のひとつが、震災の4年前、1919年に朝鮮全土で盛り上がった「三・一独立運動」だ。これによって、日本本土にも朝鮮人の活動家が多く入ってきたのだ。爆弾を隠し持っていたところを摘発されるなんて報道も増えていくなかで、朝鮮人のイメージも急速に悪化していく。それがうかがえる一節が、震災の前年に出版された、当時のベストセラー作家・加藤美侖氏の「刑法知識 罪なき人も油断すな」(朝香屋書店)の中にある。

「例えば政府の転覆とか国土の潜窃などがその例だ。(中略)昔は年中内乱騒ぎがあつたことを歴史が教へるが、今日の聖代に於ては、まあ不逞鮮人でもなければそんな馬鹿をする者があるまい」(66ページ)

 この時期の一般庶民の間では、「不逞鮮人=国家転覆や国土の略奪を狙うテロリスト」という恐怖のイメージが定着していたのだ。

 もちろん、同時期の時局講演などを見ると、新聞などの「不逞鮮人」という呼び方は朝鮮人にとっては侮辱なので改めるべきだというような良識派の声もあった。しかし、現実には「良い朝鮮人」と「不逞鮮人」を見分けることなどできないということで、いつの間にやら「不逞鮮人」というテロリストイメージが「朝鮮人」全体にまで広がってしまう。外見的には日本人とほとんど違いがなく、言葉を発しないと朝鮮人だとわからないため、恐怖にさらなる拍車がかかった。

 つまり、1923年の日本には「日本人のふりをしている朝鮮人が、いつ爆弾などで攻撃を仕掛けてくるのか」と、内心ビクビクしながら日常生活を送っていた市民が山ほどいたのである。そんな時、関東大震災が起きて「放火をしている」「井戸に毒を」といううわさ話があちこちから聞こえたら、市民たちは恐怖でパニックに陥るだろう。

 しかし、いつまでも恐れていてもしょうがない。守るべき家族や大切な人がいるのだ。そうなると、彼らは家にある日本刀やこん棒、鎌などを手にとってこう思うはずだ。

「殺られる前にこっちから殺ってやる――」

 つまり、平時は暴力などとは無縁の日本人たちが、何の罪もない朝鮮人たちを無慈悲に殺せたのは「デマのせい」というのは表面的な話にすぎないのだ。何年もかけてふくれ上がってきた朝鮮人に対する恐怖が、地震によって制御することができなくなって、「集団パニック」に陥ったからなのだ。