「恐怖」にいる住民の声を無視すると「ヘイト」につながる
「そんなバカな」と思われるかもしれないが、人類の歴史を振り返ると、敵対する人々を大量虐殺するような時には、往々にしてこの「恐怖が引き起こす集団パニック」がある。
わかりやすいのは、1994年のルワンダの大量虐殺だ。これはフツ族が隣人であるツチ族の人々を容赦なく殺したという悲劇だが、その引き金になったのは「恐怖」だ。
フツ族である大統領が搭乗した飛行機が追撃された。それをラジオで聴いたフツ族の人々は「自分も襲われるか」と恐怖のどん底に落ちた。そんな時、ラジオからこんな言葉が聞こえてきた。
「殺らなければ殺られる――」
さて、こういう話を聞くと、なぜ筆者が埼玉県の「不法行為をする外国人」の取り締まりを強化すべきだと主張しているのか、理解していただけたのではないか。
川口市や川口市議の意見書のもとになったように、一部のクルド人の皆さんの振る舞いに「恐怖」を感じている住民がいることはまぎれもない事実だ。そのような人々の声を国が無視したところで、彼らの恐怖や不安は消えない。
「外国人との共生社会」を掲げる人たちからすれば、「外国人差別をやめて受け入れればいいのだ」という事なのだろう。しかし、そう簡単に自分の考えを変えられない人たちが一定数いるというのも、この社会の「多様性」だ。
では、川口市の訴えを無視して、取り締まり強化もせず、ただただ「共生」を呼びかけていたら、恐怖を感じている住民はどうなっていくのかというと、これまで以上に外国人を怖がる。
当たり前だ。「怖い」と訴える人たちを力で抑えつけて「怖がるな!怖がる貴様がおかしい」とか説教をしたところで、態度を硬化させて事態を悪化させていくだけだろう。
つまり、これまで不法行為をするクルド人だけに不安を感じていた人たちが、「クルド人を受け入れろ!」「このレイシストめ!」と攻撃されることで態度を硬化させて、何の問題も起こしていない「善良なクルド人」に対してまで恐怖や憎悪を抱いてしまうのである。
ただ、それよりも最悪なのは、国がこの問題を放置し続けたら、「自分の身は自分で守るしかない」と考える人々が、「自警団」のようなものを組織してしまう恐れがあることだ。