山口 小幡先生がおっしゃるように、お金は確かに手段ではあるものの、同時にメディアでもあると僕は考えています。そして、お金をはじめとするさまざまなツールがあることで、経済が成り立っていると捉えています。
小幡 メディア。なるほど。言葉としてはテレビとかだけど、テレビなんかと同じような位置づけなの?だとしたら、たとえばテレビも手段ということになるのかな?
山口 人と人とがコミュニケーションを図るうえでの媒介という意味合いで、僕はお金がメディアであると表現しています。テレビとは、電波を通じてコンテンツを流通させているメディアです。これに対し、お金は人と人の間で、価値と信用をとりもっているメディアだと僕は考えているわけです。
小幡 興味深いことに、お金は手段である一方で、山口さんがおっしゃるように経済を成り立たせている結晶でもあるんだよね。本来、お金は単に価値を計る基準でありながら、気がつけば自己満足や最終目的といった結晶と化していくのだから不思議だ。
山口 それは、人がお金の先に、自由と可能性を見出すからではないでしょうか?
小幡 面白い表現をするね。いったい、それはどういう意味?
山口 まず、人はお金で買えるものを想像します。そして大抵の場合、結果的にお金を通じてそれは手に入ります。そこで、お金が欲望の象徴となってくるわけです。もともとのお金は、対価を支払う手段にすぎなかったのに、欲望の象徴として実体化してくることになります。しかも面白いことに、お金は世界で最も汎用性の高いコミュニケーション言語でもあるんです。お金は価値や信用を数字で表すでしょう。数字は世界のすべての人がわかる概念で、誰もがお金というモノサシで価値を計ることができる。これは、英語でも叶わないことです。
小幡 そういえば、大学時代に所属していたゼミの顧問だった東京大学経済学部の岩井克人名誉教授も、「言語が先か?通貨が先か?」という話をされていたね。そして、岩井先生は通貨のほうが先だというある歴史学者の本を発見して、喜んでいた。