「CSA経営」は、現在、ホットイシューになっている「人的資本経営」にも合致します。「人的資本経営」は、人材=コストとみなす従来の考え方と大きく異なります。「人材を資本と捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営」です。CSA経営は、まさにそれを先取りする取り組みだったと言えます。
ある女性社員の一言が
CSA誕生のきっかけとなった
創業からここまで、私は会社を成長させることに全精力を注いできました。会社の規模を、利益を、株価を最大化することが目的だったわけではありません。事業を通じて世の中に役立つことで、敬意を持たれるグレートカンパニー(質的ナンバーワン企業)にしたいと考えてきました。
そのためには、社員の成長が欠かせませんでした。職業人として成長する以上に人間として成長してほしい。「いい人材」の条件とは、特定の組織、特定の環境でだけ通用するのではありません。「社内外のどこでも信頼され、活躍できる力」を持つ者ではないでしょうか。それがCSAの意味するところです。
私は元々、東京で組織開発・人材開発コンサルティングの会社で働いていました。両親の面倒を見るために関西に一時帰郷。1983年にエン・ジャパンの前身である日本ブレーンセンターを大阪で創業しました。求人広告代理店からのスタートです。創業時は大きな志などありませんでした。会社を大きくすること、ましてや上場するなど毛頭考えていませんでした。
心変わりをしたのは、ある女性社員の何げない一言でした。「越智さん、どうせなら会社を大きくしませんか?」。会社の規模を拡大するのも面白いかもしれない。その一言で私の心が大きく動きました。
規模を大きくするほど、問題が起こります。特に人。たくさんの人が入っては辞めを繰り返しました。私は社員が辞めるたびにいつも後悔をしました。彼・彼女のために、何をしてやれただろうか。いざ辞めるときにハッと気づくのです。普段は忙しすぎて一人ひとりの社員について深く考えることができていませんでした。
せっかく入社してくれた社員に何か恩返しをしたい。迷い続けました。迷いの中で、私の心に浮かんだこと。それが、社員を「どこでも活躍できる人材」にすることでした。当社が仮に危機に陥っても、他社でも立派に活躍できる人材になってもらうことでした。
決意をしてからは迷いがなくなりました。どこでも活躍できる人材に辞められないように、経営者としてどう努力するか。そんな、いい緊張感も生まれました。
社員をどこでも活躍できる人材にするために、どんな力を身につけさせればいいのか。どんな職場環境をつくればいいのか。最も大きなヒントは30年以上前に出会った稲盛和夫さんからの学びでした。
京セラの創業者で、経営者向けの「盛和塾」を創設されていました(2019年に解散)。この塾で私は多大な影響を受けました。その中でも「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という公式・思想がCSAの礎になりました。そこから、自分なりに考え、社員とともに実践。試行錯誤を繰り返しながら今のCSAの概念ができました。「CSA=考え方×能力×環境」です。
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