T先生曰く、「あの子たち、家にいても食べるものもないのよ。給食だけでも食べに来てくれたらいいのに」なんて言っていた。
その頃の私は、「家に食べるものがない」ということが理解できなかった。虐待とかネグレクトといった家庭の存在など、自分の身近にあるとは思っていなかったからだ。
私にしてみたら、不登校で給食費も払っていない生徒らがきまぐれで教室に来て給食を食べるたびに、欠席者のいるクラスを探して1食分を用意したり、給食費をカウントして請求したりといった余計な仕事が増えるだけで、ウンザリだった。
結局、私はAちゃんとは一度も会う機会がないまま小学校に異動となり、さらに刑務所に転職してしまった。
刑務所に勤務して数年経ったある日、たまたま自宅でテレビを見ていたら、交通事故死のニュースが流れた。
亡くなったのは、あのAちゃんだった。20歳くらいだっただろうか。それ以来、炊場でいかフライレモン風味を見るたびに、T先生と会ったこともないAちゃんを思い出す。
レシピを暗記して娑婆で再現
数少ない刑務所での良い思い出か
U君は、いかフライレモン風味が一番好きだと言っていた。
「僕だけじゃないですよ。娑婆に出たら自分で作れるようにって、レシピを覚えて書き留める人もいるくらいですから」
彼らは炊場のレシピを持ち帰ったり書き留めたりすることができない。それはルール違反になる。だから、分量や手順を暗記し、部屋に帰ってからの自由時間にノートに書き留めるのだろう。
そこまでして作りたいと思ってくれるなんて栄養士冥利に尽きるじゃないか!と、パクリメニューでもうれしかった。
彼の仮釈放が近いことは髪の伸び具合でわかった。卒業が近くなると、髪を伸ばすことができるからだ。それに、炊場から外され、卒業に向けてのカリキュラムが始まるため、彼と会える機会はもう少ないことを示していた。
「もうすぐ『いかフライレモン風味』が出るかなあ……」とつぶやくと、彼はこう言ってほほ笑んだ。
「マジっすか?ちょっとしたクリスマスプレゼントですね」
季節は12月に入った頃だったと思う。その程度で喜んでくれるなんて、私もうれしくなってつられて笑ってしまった。