圧倒的な強さを誇っていた落合監督時代の中日ドラゴンズ。しかし、不思議なことに当時の観客数は減少していた。その理由は、名古屋という独特な地域性と落合との相性にあった。※本稿は、喜瀬雅則著『中日ドラゴンズが優勝できなくても愛される理由』(光文社新書)を一部抜粋・編集したものです。
落合の残念なところは「暗さ」
スポンサーへの挨拶もナシ
その温かさは、普段全くと言っていいほど伝わってこない。
喜怒哀楽、表情を一切出さない。情報を漏らさない。
それは、内を守るために、外を徹底的に排除するという、指揮官としてのシビアさなのだろう。そこには一切、指揮官の感情は見えてこない。
星野仙一のように笑い、怒鳴り、暴れ、そして泣く。そのエンターテインメント性が、落合中日には一切感じられなかった。
田尾安志が指摘するのは、そこなのだ。
「落合のやり方で、僕が一番やっぱり残念なのは、あの暗さなんだよね。あの暗さを、ファンの人たちがどう見るか、というところだよね」
星野も高木守道も、岐阜や豊橋、浜松といった親会社の中日新聞社の販売エリアでの主催ゲーム前には、地元の販売店などが主催する激励会に出席し、挨拶をし、親交を深めた。
東海地方のあるスポンサー企業は、毎試合のようにバスで社員が観戦ツアーにやってきたという。星野はそれを出迎え、会社の幹部にも挨拶に出向いたという。
落合はそういう儀礼的なことを、一切やらなかった。
それは、野球に専念するためには必要がない。契約書にも書かれていないという、落合なりの理由がきちんとあった。
ただ、そこで大きなハレーションが起きた。そうした付き合いを一切やらなかった落合への反発から、複数のスポンサー企業が年間予約席の購入を控えたいという“撤退”を示唆する動きを見せたことがあった。
それが2006年。落合政権下で2度目のリーグ優勝を果たした時だ。不穏な動きを感じて、当時のオーナー・白井文吾の自宅に“朝駆け”をして、続投がなかなか発表されない理由を直撃したこともある。
「挨拶やろ?行かなかったんだろ。それで、スポンサーの方が行かない、やめるって」
田尾にも、そうした水面下の動きが耳に入っていたという。
「監督って、そこも大事やと思うねん。やっぱり、スポンサーがあり、ファンがあってやっていける職業なのね。そういう発想があるのかないのか。結果残しゃいいんだろっていうだけじゃ、ね?弱いチームを預かったから、俺はそれをよけいに感じるんだよね」