本法寺本阿弥家の菩提寺でもある本法寺(上京区)の壮麗な仁王門

“雪舟推し”の二大絵師ゆかりの地へ

 次は、雪舟没後に生まれたため師弟関係がなかったにもかかわらず、“雪舟推し”だった二大絵師のゆかりの地を訪ねてみましょう。

 水墨画の最高峰と称される国宝「松林図屏風」(東京国立博物館蔵)を描いた長谷川等伯(1539~1610)は桃山時代の絵師です。等伯ゆかりの寺といえば、京都御所の北西方面に広がる西陣の日蓮宗本山「本法寺」(上京区)です。市バス「堀川寺ノ内」停留所から徒歩3分ほど。墓所には等伯の墓もあります。

 等伯は晩年、自身の作品に「雪舟五代」と記しました。等伯と親交のあった本法寺10世日通上人が等伯の画論を筆録した『等伯画説』(本法寺蔵/国の重要文化財)には、雪舟→雪舟の弟子・等春→祖父→父→等伯へと、雪舟流が継承されていることがつづられています。これをもって、雪舟の五代目としたわけですね。

 一方、等伯とほぼ同時期に活躍した雲谷等顔(1547~1618)は、大内氏の後を継いだ毛利家から、雪舟のアトリエと山水長巻を授かり、雪舟流の正式な後継者をうたいました。雪舟がいかに偉大な絵師であったかがうかがえますね。

 本法寺には、1599(慶長4)年、25歳で急逝した息子・久蔵の七回忌供養のため等伯が描いた「涅槃図(ねはんず)」が所蔵されています。涅槃図とは、お釈迦様が入滅されて(亡くなって)横たわる側で、嘆き悲しむ弟子や動物たちの姿を描いた仏画のこと。本法寺の涅槃図は、縦10m、幅6mに及ぶ日本最大級のスケールで、国の重要文化財に指定されています。

 動物たちをよく見てみると、白いゾウ、ラクダ、トラ、カメなどのほか、ちんまりと座ったモフモフの猫や、大坂・堺の港町で南蛮人が連れて歩いているのを見て描いたともいわれる2匹の凛々(りり)しい洋犬(コリー)もいます。通常展示されているのは複製ですが、3月半ばから約1カ月間の毎年恒例「春の特別寺宝展」では実物が公開されます。実物をじっくり眺めたい方は来年を楽しみに待ちましょう。

 狩野探幽(1602~74)は、室町幕府8代将軍足利義政の御用絵師を務めた狩野正信を祖とする狩野派の絵師で、国宝「洛中洛外図屏風」を描いた狩野永徳の孫に当たります。狩野派の基盤を確立した永徳の再来と称された探幽は、わずか16歳で徳川幕府の御用絵師に。一門のリーダーとして、二条城、江戸城、名古屋城などの襖絵や障壁画を手掛けています。

 探幽も雪舟をリスペクトし、雪舟の作品を基軸として自身の画風を確立したため、その画風は、江戸時代の絵画全般における共通基盤となり、400年にわたって日本絵画界を席巻した狩野派一門の発展にも貢献したのです。狩野家の菩提寺は、等伯ゆかりの本法寺のすぐ北東にある日蓮宗本山「妙覚寺」(上京区)です。1378(永和4)年に日実が開創、墓所には狩野元信や永徳らの墓があります。

 墓前で静かに手を合わせたら、最後に日本最大の禅寺で臨済宗妙心寺派大本山である「妙心寺」(右京区)へも足を延ばしてみましょう。市バス「妙心寺前」停留所、JR嵯峨野線「花園」駅から徒歩5分ほどの所にあります。

 探幽が8年の歳月をかけて、55歳の時に完成させたという法堂天井「雲龍図」は、修復などはされておらず、描いた当時のまま。渦を巻く雲の間から現れた龍は、どの場所から見ても目が合うことから「八方睨みの龍」の異名を持ちます。また、仰ぎ見る場所によって、空へ昇っていくようにも、空から降りてくるようにも見える、不思議なパワーを宿しています。今年の干支でもある龍の姿を、堂内を少しずつ移動しながら見上げてみてください。

【本文で紹介した名所ほか関連リンク集】
雪舟(総社市) 京都国立博物館   東京国立博物館 相国寺 宝福寺(総社市) 京阪本線「東福寺」駅   東福寺芬陀院 本法寺 妙覚寺(八本山を巡る) 妙心寺  ※( )は遷移先のページ