芬陀院芬陀院(東山区)の南庭にある石組が亀島を表している

水墨画ではなく立体作品! 雪舟作の名庭へ 

 ここで、雪舟の生涯について少々。室町時代の1420(応永27)年、備中(現・岡山県)に生まれ、幼くして地元にある宝福寺(総社市)という禅寺に預けられます。修行よりも絵を描くことに夢中の少年時代を過ごしたといい、江戸時代以降語られるようになった、こんなエピソードが有名です。

 ある日、和尚が修行をおろそかにして絵を描いていた雪舟を叱り、お仕置きとして柱にくくりつけました。夕方、縄をほどこうと戻ったところ、雪舟の足元にネズミが……!!

 和尚はギョッとしますが、よく見るとそれは、頬を伝ってこぼれ落ちた涙で雪舟が描いた絵だったのです。あまりのリアルさに感心した和尚はその日以来、雪舟が絵を描いていてもとがめず、見過ごしてくれたそうです。

 やがて雪舟は、京都の相国寺に入り、国宝「瓢鮎図」(妙心寺退蔵院蔵)で名高い如拙(じょせつ)や、その後継者である周文に絵を学びます。周防(現・山口県)に下がり、守護大名である大内氏の庇護のもと描き続けていた48歳の時、遣明使節に加わり約2年滞在して腕を磨きました。帰国後は再び周防を主な拠点とし、旅をしながら絵を描き続けたのです。

 そんな雪舟とゆかりの深い寺院が、京都国立博物館最寄りの京阪本線「七条」の隣駅、JR奈良線・京阪本線「東福寺」駅から徒歩10分ほどの所にあります。京都五山第四位に列した東福寺の塔頭(たっちゅう)の一つ、芬陀院(ふんだんいん)がそれで、雪舟寺とも呼ばれます。元亨年間(1321~24年)、関白・一條内経により創建されて以来、一條家の菩提寺となりました。修行した地元の宝福寺が東福寺の末寺だった縁もあり、雪舟は東福寺を参詣した際、芬陀院に宿泊したといいます。

 一條家の当主に亀の絵を依頼された雪舟は、石組の亀島を主役とした庭園を造り上げ、平面ではなく立体で亀を表現しました。庭が完成した夜のこと。庭先で物音がするので、和尚が戸の隙間から庭をのぞいてみたところ、雪舟が造った石組の亀が手足を動かし、庭をはい回っていました! 翌朝、そのことを聞いた雪舟は、亀の甲の上に大きな石を置きました。すると、それ以来亀の石組は動かなくなったという逸話が語り継がれています。

 雪舟作と伝わる庭園は、方丈の南側。白砂の奥、向かって左側に鶴島、右側に亀島の石組を配した苔庭が広がります。二度の火災で荒廃していた時代もありましたが、1939(昭和14)年、作庭家の重森三玲により修復され、現在に至ります。ちなみに、方丈の東には、同じく重森三玲の作による庭園もあり、茶室「図南亭」の丸窓越しに眺めることができます。竹林を借景とした庭と対峙(たいじ)し、耳を澄ませば、葉擦れの音や鳥の声が響き、心静まるひとときが過ごせます。

 芬陀院を訪れたら、ぜひ東福寺へも足を延ばしましょう。ここは京都屈指の紅葉名所。今の季節は、“青もみじ”の名所でもあるのです。爽やかな風が渡る通天橋から一望する新緑は、格別のすがすがしさ! やはり重森三玲による国指定名勝「東福寺本坊庭園(方丈)」もお見逃しなく。

通天橋東福寺境内の外にある臥雲橋(がうんきょう)から青もみじの通天橋を一望