稲盛和夫氏が京都の若手経営者に頼まれ、1983年に始めた私塾が「盛和塾」だ。同氏が高齢などを理由に2019年末で解散したが、教えを受けた塾生の経営者たちは、時に人生を一変させるほどの言葉を投げかけられていた。連載『シン・稲盛和夫論』の本稿では、稲盛氏の出身地である鹿児島地盤の3社に関して、盛和塾OBの各経営者が受けた言葉や、知られざる逸話の数々を明らかにする。(ダイヤモンド編集部 竹田幸平)
稲盛和夫氏の言葉が
世界遺産誕生に一役
鹿児島市内の「旧集成館」が「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されたのは、2015年のこと。実は、鹿児島出身の“経営の神様”故・稲盛和夫氏の一言がなければ、日本が世界に誇る「世界遺産」は生まれなかったかもしれない、という逸話を知る人は少ないだろう。
旧島津家別邸「仙巌園」をはじめ、歴史遺産を生かした観光事業などを営む島津興業の取締役相談役で、島津家の末裔でもある島津公保氏。知人の誘いで稲盛経営を学ぶ「盛和塾」鹿児島の発足に携わり、約20年にわたり代表世話人を務めた。そんな同氏がある時、歴史資産が点在する旧集成館地区を再開発したいと話した際、稲盛氏から掛けられた言葉が今も脳裏をよぎると明かす。
仙巌園とは1658年、島津家19代当主で薩摩藩の2代目藩主、島津光久が築いた別邸である。「集成館」とは、その近隣に位置し、1851年に島津家28代当主で薩摩藩の11代目藩主となった島津斉彬氏が、鹿児島城下の磯地区に築いた近代的な工場群のこと。斉彬氏は西郷隆盛を見いだし育成するなど、幕末の名君の一人として名を刻む人物だ。
かつては製鉄や造船、紡績から工芸品に至るまで多くの事業が営まれていたが、集成館は1915年に廃止。唯一残された機械工場を改装し、1923年に島津家の歴史資料館「尚古集成館」が開かれた。今では、仙巌園、旧集成館ともに日本人のみならず、訪日客からも人気を博す観光地となっている。
次ページでは、上述の島津興業の他に、本格芋焼酎「DAIYAME(だいやめ)」ブランドが好調な焼酎メーカーの濵田酒造(鹿児島県いちき串木野市)、「九州一高年収」で働きやすい設計事務所としても知られる東条設計(鹿児島県鹿児島市)という、鹿児島地盤の3社の経営者をピックアップ。盛和塾OBでもある各氏が稲盛氏から受けた言葉や、知られざる逸話の数々を明らかにする。