彼女とはネイルサロンでたまたまとなり合わせになっただけ。けれど、互いに本音で話をした。ルースは若いころ、あなたにふさわしいのは、先生になって、結婚して、子どもを産んで、専業主婦として子育てをすることだと言われたそうだ。以来、28歳になり、友人が平和部隊に参加して南米に行くまで、別の選択肢があるなんて考えもしなかったという。「でも突然思ったのよ。ちょっと待って、わたしにもできるかしらって」。今62歳のルースはときどき、もしも自分の内面と向き合い、本当に望んでいるものが何なのかを自分で自分に問いかけていたら、今ごろどんな人生を歩んでいただろう、と思うそうだ。

 多くの女性が、親を筆頭に他者を喜ばせるよう教えられてきた結果、周囲から期待される道を歩んでいく。こうした傾向は、移民の親に育てられた若い女性にはとくに顕著だ。たとえばヤラ。彼女の父親は、オランダの小さな貧しい村で育った。「父さんが家族を連れてこの地へ来たとき、わたしはすべてにおいて成功しなくちゃならなかった。疑問を挟む余地なんてなかった。父さんはそのためにこの国へ来たんだから」

 インド人移民の両親をもつわたしにとっても、身につまされる話だ。わたしも、すべてを完璧にこなし、オールAをとり、ディベートチームの中でいちばんになり、大学で卒業生総代を務めれば、苦労してこの国へやってきた両親の思いに報いることができる、とずっと思っていた。だから、本当は政治に関わる仕事がしたいという夢があったのに、名の通った法律事務所に就職した。そうすれば父が喜び、ほめてくれるとわかっていたから。仕事は嫌いだったけど、それをあらわにすることは決してなかった。

 そうやって、どんどんみじめな気分になっていった。時間さえあれば、政治運動のボランティアをして自分の心を満たしていたものの、仕事では、まるで満たされなかった。30代に突入するころには、ほぼ毎朝、胎児みたいにベッドの上で体を丸めては、自分は仕事で何も成し遂げていないといううんざりする思いを必死になだめた。

 あのころは、わたしの人生の暗黒時代。心身ともにボロボロで、仕事から帰ると、スウェットに着替えてグラスにワインを注ぎ、テレビをつけて、ひたすら泣いていることもしょっちゅうだった。次に何をすればいいのかもわからないし、仕事を辞めるのも怖かった。

 2008年のあの日、すべてが変わるまでは。