憧れのヒラリーに言われた
「夢と目標を諦めるな」という言葉

 今でもはっきりと覚えている。8月のあの日、ニューヨーク市は息がつまるほど暑く、地下鉄のホームに立っているだけであぶり焼かれそうだった。そのときわたしがいたのは、マンハッタンのミッドタウン中心地にあるビルの48階。窓が開かない、寒いぐらいに冷房を効かせたいつものオフィスで、ボディコンシャスの青いスーツを着て、10センチのヒールをはいていた(足が痛くてたまらないのを必死にこらえて)。

 その日より2カ月たらず前に、わたしはワシントンDCに行った。2008年の大統領選で民主党の候補はバラク・オバマに決まり、ヒラリー・クリントンが敗北宣言をすることになったので、その手伝いを申し出たのだ。ヒラリーはわたしの憧れで、民主党内での大統領予備選挙でもヒラリー陣営のボランティアとして頑張った。だから、ヒラリーが負けたときはがっかりし、落ちこんだ。でも、涙を流しながら彼女の話を聞いていたとき、「わたしが負けたからといって、あなたたちまで目標や夢を諦めるべきじゃない」という言葉が胸に響いてきた。

 そして、8月のうだるように暑いあの日、ヒラリーの言葉を繰り返し頭の中で再生しているところへ携帯電話が鳴った。電話の主はロー・スクール以来親しくしている友人、ディーパだった。彼女は、卒業したばかりで希望に目を輝かせ、自分はなんでもできるし、なんにでもなれると思っていたころのわたしを知っていた。携帯の画面に表示された名前を見て、あんなに嬉しかったことはない。

 空気の張りつめた、静まり返ったオフィスを足速に通って、奥にある窓のない会議室に入ると、わたしはドアのブラインドをおろし、苦痛でしかないヒールを脱ぎ捨てて電話に出た。

 ディーパの声を聞いたとたん、堰を切ったように涙が流れたのを覚えている。ちょっと頭がおかしくなったと思われたに違いないけど、わたしは、こんな会社の仕事なんかもうヤダ、虚しい、生きていく目的がない、などと泣きじゃくりながら話した。

 ディーパは辛抱強く耳を傾けてくれた。そしてわたしが話し終えると、少し間をおいてから、静かな口調でひとことだけ言った。「辞めなさい」。