医師が本業、作家は片手間!?コナン・ドイルが「名探偵ホームズ」を仕方なく書いたワケDan Kitwood / スタッフ / Gettyimages

後世に語り継がれる詩や小説を遺した「文豪」には、世間一般の「ふつう」に馴染めなかった者が少なくない。 しかし「こじらせていた」からこそ、彼・彼女らは文学の才能を開花させることができたと言える。今回は、書籍『こじらせ文学史 ~文豪たちのコンプレックス~』(ABCアーク)から一部を抜粋して、『シャーロック・ホームズ』シリーズの生みの親であるコナン・ドイルの知られざる素顔に迫る。当時のイギリスでは「探偵小説=二流小説」と見なされており、ドイルも同作品に大した思い入れはなかった可能性も…。

シャーロック・ホームズを書きたくなかった!?
やむをえず「二流文学」探偵小説を執筆

今回紹介する文豪:コナン・ドイル(1859-1930)
イギリスの小説家。アーサー・コナン・ドイル。医師だが、「シャーロック・ホームズ」シリーズで推理小説家として世界的に成功。ボーア戦争には軍医として従軍し、ナイトに叙爵された。本人がもっとも前向きに取り組んでいたのは歴史小説『マイカー・クラーク』『白衣の騎士団』などだが、当時は多くの読者を獲得できなかった。

 社会的には大成功者だったはずのコナン・ドイルだが、彼は生涯を「いかに生きるべきか」という悩みに取り憑かれて過ごした。

 イギリスの中流階級に生まれ、実家の意向でエディンバラ大学医学部に入学する。しかし医学の勉強がイヤすぎて、在学中にもかかわらず、北氷洋行きの捕鯨船へ。名目上は船医、実質的には船乗りの一員として7ヶ月も乗り込んでいた。その後は平凡な成績だが、なんとか卒業にこぎつけている。

 医学士と外科修士の学位を得て、医師になってからも自分の能力に自信が持てず実際にヤブ医者気味だったので、職場を転々とすることになった。おまけに若くして妻帯者だったので生活費がかさんだ。それゆえ診察時間の合間にもできる、気軽なアルバイトとして小説の執筆を始めている。

 最初は当時の「一流文学」、つまり歴史小説で大家を目指すが、そこそこの評価しか受けられず、生きるために「二流文学」とされた探偵小説の執筆に手を染めたのが1886年。名探偵ホームズとその助手のワトソンが登場するシリーズ記念すべき第一作、『緋色の研究』に着手し、わずか1ヶ月後に作品を完成させているが、最初は掲載誌すら見つからなかった。

 しかし翌年末、「ビートンズ・クリスマス・アニュアル」なる雑誌の片隅にようやく掲載された『緋色の研究』は一躍人気を呼び、単行本化にも成功する。その後、コナン・ドイルが大人気作家になるのに時間はかからなかった。