後悔をなくす、過去を変えるというのはあまりに強烈で甘い欲望だから、自制しないといけないという気持ちが働くのかもしれない。

 時の流れは不可逆で、起こってしまったものはもう変えることも取りやめることもできないと分かっているはずなのに、どうして人間には「後悔」という機能が搭載されているんだろうか。めんどくさい。人間以外の動物は後悔なんかしないで生きているのではないだろうか。

 と、思っていたけど、ナショナルジオグラフィックTVを見ながら、かつて我々も経験してきた「進化」というやつも後悔ベースで行われているものなのかもと考えた。自分の代では鳥に食われまくった虫の後悔が擬態に進化し、水辺で苦労した生き物が何世代も後悔して後悔して陸に上がれるよう進化していく。となると人間も後悔に後悔を重ねることでちょっとずつ進化してるんだろうか?何某かに。

後悔はゼロには出来ないから、
後悔する自分の面倒をみよう

 後悔しまくって進化を続けた人間ってどうなるんだろう。ものすごく賢くなったりものすごく強くなったりするだろうか?いろいろなパターンを想像してみたけれど、もし後悔の気持ちが進化に繋がるのなら、いずれ人類は滅亡するんじゃないかなと思っている。

 何も克服せずに、何も発展させずに、どんどん脆弱に儚くなって消えていくんじゃないかと思う。何億年か後の人類(だったもの)は、糸くずみたいに大気中をさまよい、産まれて3日で死んでいくみたいな生き物になっているかもしれない。後悔をする暇もない生き物として、心の痛みや辛さを感じる隙間もなく消えていく種になっているんじゃないだろうか。それくらい、人生には後悔が多いし、中には1人で抱えきれないようなつらいものもあるから。

 生き物が、特に人類というややこしい種が「発展」のみを願って生きているとは私にはとうてい思えなくて、かなりの数の人間が「消えてなくなりたい」と思いながら生きているように感じる。これは鬱病人間の目で世界を見ているからそう思うだけなのかもしれないけど......。